19世紀後半増築か 中城城跡の城壁 写真から推測


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 【中城】数度にわたって積み増しされたことが分かっている中城城跡の城壁について、大正時代に植物調査のために来県したアーネスト・ヘンリー・ウィルソンが撮影していた写真によって、築造時期がある程度特定できるようになった部分がある。これまでは明治以降の近代の築造だとは分かっていたが、写真によって、19世紀後半ごろのものだと考えることができるようになった。

ウィルソンが1917年3月に撮影した中城城跡。男性(中央付近)の座る石積みが、新たに積まれた城壁。この城壁にもソテツが生育している(古居智子著「ウィルソン 沖縄の旅 1917」より)
ハイネが1853年に描いた中城城跡のスケッチ。左側で手を上げた男性が乗っている石段の上に後年に新たな城壁が築かれた(中城村教委提供)

 城壁は一の郭の北側で、近代に積み増しされた部分。先日、発見が公表された14世紀前半のものとみられる城壁を覆うように築かれている。増築を示す文献などは全く残っていない。古い城壁に崩落の危険があったため、これを保護する意味合いで積まれたと考えられている。

 1853(嘉永6)年に沖縄を訪れたペリー艦隊の調査隊が中城を訪れた際、画家のハイネが描いたスケッチには、この城壁は描かれておらず、同年以降に築かれたと考えられてきた。

 ウィルソンが1917(大正6)年に撮影した写真には、城郭の下部を取り巻くように新たに積まれた城壁が写っており、人物が座っているのが分かる。

 上部の城壁やこの新しい城壁には生育が遅いソテツが写っており、撮影時点で築造から一定の期間が経過していることもうかがわせる。

 中城教育委員会の渡久地真文化係長は「これまで昭和初期の写真はあったが、それよりさかのぼることが分かった。ソテツの生育状況から(築造は)1800年代の終わりごろとも想定できる」と話した。