政治

<乗松聡子の眼>3・1運動100年と沖縄 脱植民地阻む軍事同盟

 「ここにわが民族は日本および世界各国に対し、わが民族に自決の機会を与えることを要求する。もしその要求が受け入れられなければ、わが民族はその生存のために自由行動をとることで、わが民族の独立を期成せんことをここに宣言する。」

 1919年2月8日、植民地支配下で日本に留学していた朝鮮人学生たちが起草し、3週間後の「3・1独立運動」の導火線の役割を果たしたと言われる、「2・8独立宣言」の結びの文である。その100周年の記念式典がさる2月8日に東京の韓国YMCAで開催され、私はその片隅に列席する機会を得た。

 この式典は韓国語の進行だったが、唯一、在日本大韓民国民団の代表者は日本語で、「きょうは勇気を振り絞って来てくれた日本の方に」と呼び掛けた。それを聞いて、私は、自分がそこに「勇気を振り絞って」来ていたわけではないことに気づいた。

 この式典は、日本が開国以来、朝鮮征服への試みを着々と進めた歴史、とりわけ日本が朝鮮を強制併合した1910年以来の「行政、司法、警察などの諸機関が朝鮮民族の人権を侵害し、公的にも私的にもわが民族と日本人の間に優劣の差別を設け、わが民族には劣等の教育を施し、永遠にわが民族を日本人の使役者にしようと」(2.8独立宣言より)した歴史を振り返る場であった。

 民団の人の言葉によって、自分は加害側の日本人として、この歴史の「重み」を十分に感じずにそこにいたのではないかと、恥じ入る気持ちになった。

 その後私は「3・1」100周年まで東京に滞在し、関連イベントに片っ端から出席した。とりわけ、2月23日の横浜における宋連玉(ソン・ヨノク)青山学院大学名誉教授の講演「植民地主義に抗した朝鮮女性たち」には心を突き動かされた。2・8独立宣言に参加し、その後逮捕され過酷な拷問を受けた金マリアのような女性はたくさん存在した。

 宋氏が強調したのは、女性で独立運動に参加するということは、おぞましい性拷問を受け、それを生き延びたとしてもその後の人生を、性被害の女性を受け入れない儒教社会の中で生きることを引き受ける、ということだった。

 私は自らに問うた。運動家の勇敢さをたたえることは容易であるが、自分だったらそれができただろうか。分からない。そもそも、植民地支配さえなければこんな苦しみはなかったのだ。言葉を失う。ただ、その女性たちの前にひれ伏すしかない。

 この3月は、朝鮮全土で200万人がデモに参加した「3・1独立運動」の100周年であると同時に、1879年3月27日、明治政府が武力を伴い、約5世紀にわたり続いた琉球王国を滅ぼし、「沖縄県」として強制併合した140周年に当たる。朝鮮と同様に、琉球の言葉、信仰、文化、誇りが奪われた。「3・1」の100年と、「3・27」の140年はつながっており、共に日本人が心に深く刻まなければいけない歴史だ。

 そして現在も両地域に対する植民地主義は続いている。その根幹にあるのが世界最大の軍事的脅威である米国との軍事同盟であり、「日米安保」によって、朝鮮半島の統一と独立を阻み、沖縄に基地を集中させている。

 2月24日行われた沖縄の辺野古埋め立てを巡る県民投票は、52%以上の有権者のうち7割が「反対」に一票を投じた。これはすでに明確な民意の再確認ではあったが、多くの沖縄の人にとっては、日本に対し自分たちの自己決定権を強く訴えるという意味があった。

 その県民投票の同日、沖縄に対する植民地主義を象徴するような出来事があった。「天皇在位30周年記念式典」において、天皇が作った琉歌に皇后が曲をつけ、なんと沖縄出身の歌手に歌わせていたことだ。私は目を疑った。私の住むカナダは英仏の植民者が先住民の土地を支配して作った国だが、カナダはいまでも元首が英国女王であり、カナダには女王代理の総督という立場の人がいる。

 もしその人が、自分のための祝賀行事で、自らが先住民の言葉で作った歌を、先住民のアーティストに歌わせたりしたら、権力者による被支配者の「文化盗用(cultural appropriation)」であると、非難ごうごうになるのは間違いない。

 この催しでは安倍首相の発声で「天皇陛下万歳!」の三唱まで堂々と行っていた。一体この国は大日本帝国の歴史から何を学んだのか。

 しかしこの式典を問題視する人がリベラル側にほとんど不在であった。なぜか。「天皇タブー」があるからではないか。日本の植民地主義は天皇制を問うことなしには語れない。タブー視、異論封じなどをしている限りこの国は民主主義の国とは言えない。

 朝鮮「3・1」の100周年、琉球「3・27」の140周年を迎えるにあたり、日本の植民地主義を克服するには壁は厚いと感じるが、日本人としての責任を踏まえながら、アジア同胞と共に歴史に学び、平和の未来を作る一端を担いたいと思う。

 以上、3・1の100周年当日、600人が集まった新宿アルタ前の大集会のリレートークで、妨害に来た右翼の怒声で自分の声も聞こえなくなる中、私はこのような話をした。終わることのない学びの入り口に立っていたような思いだった。(「アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)


 

※10日付3面に掲載された「乗松聡子の眼」〈24〉の最初の段落の記述が抜けていました。お詫びして訂正させていただきます。
 最初の段落を含む全文を掲載させていただきます。

 



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