社会

米軍接収の集落発掘へ 嘉手納基地内 元住民、生活の痕跡期待

旧平安山ヌ上の字誌を見ながら故郷の様子を語り合う同郷友会の(左から)町田宗秀副会長、町田宗光さん、町田宗吉会長=20日、北谷町公文書館

 【北谷】北谷町教育委員会は、町砂辺にある米軍嘉手納基地第1ゲートの改修工事に伴い、戦後同基地内に接収された平安山(はんじゃ)ヌ上(うぃ)屋(やぁ)取(どぅい)と下勢頭屋取跡地の発掘調査を新年度から実施する。調査区域の多くを占める平安山ヌ上には戦前、旧北谷村役場や北谷国民学校があり、村の中心地だった。沖縄戦で艦砲射撃などに遭い、集落の大半は焼失。米軍基地が建設された。自宅近くの防空壕に家財道具を隠したまま山原に逃げた町田宗光さん(80)=沖縄市=は「そのまま埋まっていれば何か出てくるかもしれない」と期待を寄せる。

 同集落は戦前、現在の嘉手納基地第1ゲート付近にあり、軽便鉄道の平安山駅や県道が通っていたことから本島中部の物流拠点だった。1740年ごろに勢理客姓の士族が移り住んだ集落は、村内でも比較的新しい地域で、同郷友会の町田宗秀副会長(78)=北谷町=は「農家以外に大工や客馬車の御者をする人もいたようだ」と語る。人々が行き交う戦前のにぎわいについて、町田宗吉会長(77)=沖縄市=は「散髪屋やそば屋も数軒あったと聞く」と話した。


戦前に旧北谷村にあった軽便鉄道の平安山駅(平安山ヌ上郷友会提供)


 米軍の上陸地点に近かったことから、住民のほとんどは疎開した。住民たちが故郷へ帰ってくると、すでに米軍の通信基地が建設されていたという。米軍の接収により、住民は県内各地へ移住を余儀なくされた。

 町教委は米軍との調整が整い次第、調査を開始する。生活の痕跡などが確認された場合は、郷友会などの関係者の立ち入りを米軍や沖縄防衛局に申し入れる意向だ。

 改修工事は第1ゲートを移設し、国道58号と町道をつなぐ十字路を設置するもので、交通渋滞の緩和を図る。工事に先立ち、防衛局が町教育委に調査を委託した。調査費用を含む一般会計予算案は、北谷町議会3月定例会で可決された。 (下地美夏子)









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