社会

爆音にさらされる毎日 普天間の危険性除去を願うが県内移設に複雑な心境 続く市民の葛藤 返還合意から23年

 【宜野湾】日米両政府が米軍普天間飛行場の全面返還を合意してから12日で23年となったが、飛行場は居座り続けている。宜野湾市民は米軍機墜落や部品落下など事故の危険性、騒音被害などに常にさらされている。同飛行場を見つめ続けてきた市上大謝名区に住む譜久山朝夫さん(83)は「普天間の危険を減らすことが一番の願いだが、私たちが行き先に注文を付けるわけにはいかない」と、飛行場の移設先である名護市辺野古への負担増に複雑な表情を見せる。


米軍普天間飛行場のフェンス前で三線を弾いて、平穏な心を保つ譜久山朝夫さん=10日、宜野湾市の上大謝名区

 普天間飛行場滑走路の延長線上にあり、市内で最も騒音が激しい上大謝名区。着陸態勢のKC130空中給油機が公園で遊ぶ春休み中の児童らの頭上を飛行すると、これまで響いていた子どもたちの遊ぶ声全てが騒音にかき消された。

 KC130は負担軽減策として、2014年に普天間から山口県の米軍岩国基地に移駐されたが、たびたび普天間へ飛来。譜久山さんは「外来機の飛来が増えていると感じる。(早朝・深夜の飛行を制限する)騒音防止協定も全然守られていない。負担軽減は直接感じない」とつぶやく。

 譜久山さんは具志川村(現うるま市)出身で、9歳の頃、沖縄戦を体験した。カタツムリや毒のあるソテツを食べて生き延び、「戦争は再び起こしてはいけない」と平和を願う。一方で戦後は軍雇用員として働き、現在も基地内のメリーランド大学で約35年にわたり米兵に日本語や日本文化を教えている。米兵らと付き合ってきたことから複雑な思いもあり、「怒りの矛先がない」と吐露する。

 約20年前に仕事の関係で上大謝名区に移り住み、60年以上続けている三線を地域の子どもに教えている。「米軍機の事故は時に起きており、危険の可能性が絶えずあり不安だ」と話す。上空を米軍機が飛ぶと、三線を弾いて心の平穏を保つ譜久山さん。

 「辺野古移設に時間が掛かると言われている。普天間の早期撤去が難しいのであれば訓練を減らしたり、機体数を減らしたりして危険性を減らしてほしい」。返還合意から23年目に負担軽減実現を改めて願った。
 (金良孝矢)