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14歳で島から那覇へ出稼ぎ 泣いた日もなんくるないさで 故郷に支えられた市場の肉屋〈まちぐゎーあちねー物語 変わる公設市場〉5 離島から(上)美里和子さん


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 1955年、多良間島を離れる船で涙を浮かべていた14歳の少女は64年を経て、那覇市の第一牧志公設市場で「美里食肉店」を切り盛りするたくましい女性になっていた。その女性は美里和子さん(78)だ。夫と2人で初めて出した店は、第一市場の開業と同じ年。ことしで47年になる。「不安もあったけど乗り越えられたのは“なんくるないさ”かな」と優しい笑顔を見せる。

「なんくるないさーでやってきたさ」と柔らかな笑顔を見せる美里和子さん=2月、那覇市松尾の第一牧志公設市場

 和子さんが親戚と共に、出稼ぎで本島に渡ったのは14歳のころ。最初は那覇で子守の仕事に就いた。16歳で牧志公設市場で肉屋を営む家に住み込み、家事や掃除をこなした。「最初は寂しくて泣いていたけど、家の人が娘のようにかわいがってくれたから、すぐにこっちに慣れたね」。那覇での生活に慣れ、いつの頃からか市場で肉を売る仕事を手伝うようになった。

 30歳のころ、同郷で同級生の忠登さんも那覇に住むようになり、結婚した。2人で和子さんが働く肉屋に勤めていたが、子どもが生まれたことをきっかけに独立。1972年、第一市場新設のタイミングで市場に「美里食肉店」を出した。初めての店と子育て。和子さんは「うれしいというより、不安の方が大きかったさ」と振り返る。それでも「肉屋しかやったことがなかったからさ。“食べ物商売”は生活に困らないだろうと思って」。柔らかな笑顔には覚悟もにじんでいた。

 豚肉の専門店。忠登さんが肉を仕入れ、和子さんが市場で売った。14歳で離れた古里も2人の店を応援した。多良間島で祝い事があるたびに島から店に肉の注文が入った。「冷凍した肉を飛行場まで運んで箱詰めして送ったさ。本当にありがたかったよ」

店を手伝う四男の宗徳さん(左)。和子さんは「息子たちに楽させてもらってるよ」と笑顔を見せる

忠登さんが引退した後は三男の豪輝さん(44)が仕入れを担う。豪輝さんと四男の宗徳さん(42)も店に立ち、長男の朝久さん(48)がバックヤードに入る。息子たちが和子さんをサポートする。「息子が迎えに来て、掃除までしてくれる。楽させてもらっているよ」

 6月16日で現市場での営業を終え、7月から仮設市場に移る。初めて構えた店は現市場とともに解体、新市場へと生まれ変わる。その心境は「複雑でもあるね」と和子さん。「今の場所で続けたいけど、子どもたちのことを考えると新しい市場もいいなあと思う」と話し、また笑顔を見せた。
 (田吹遥子)

(琉球新報 2019年3月12日掲載)