「生き残って申し訳ない」と言った祖父の沖縄戦伝える 知花くららさん(モデル・女優)  〈ゆくい語り・沖縄へのメッセージ〉1


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国連WFPの活動や平和への思いを語る知花くららさん=2017年6月2日、東京都渋谷区(諸見里真利撮影)

 「祖父の思いを受け止め、(沖縄戦で)慶留間島に何が起きたか、できる限り伝えたい」

 そう語るのは、モデルとして、女優として第一線で活躍を続ける県出身の知花くららさん(35)だ。

 彼女も、祖父が沖縄戦中、慶良間諸島の慶留間島で「集団自決」(強制集団死)寸前にまで追い詰められたことを10年前、初めて知った。テレビ番組での彼女自身の取材を通してだ。

 体験を話すうちに涙を流し「生き残って申し訳ない」と語る祖父の姿に心を揺さぶられた。「生き残ったことをいまだによしとできない祖父の人生を考えると、戦争の爪痕の大きさを実感する」

 11年前、ミス・ユニバース世界大会2位になり、一躍引っ張りだことなった。華やかな舞台に立つ傍ら、WFP国連世界食糧計画(国連WFP)の日本大使として世界を飛び回り、紛争や災害で食にも事欠く人々への支援を続ける。

 でもその姿に悲壮感はない。「自分のできることを、自分の仕事や技術を通して、日常生活の延長でする支援もあると知って、腑(ふ)に落ちたんです。私の活動もそう。だからこそ続けてこられた」。肩の力を抜いた、自然体の言葉に実感がこもる。

 活動当初は、有名人ゆえに浴びせられる心ない言葉に「心が折れそう」になったことも。でも着実に続けることでそうした声は少なくなった。それも自然体ゆえだろう

戦争の大きな爪痕 孫の世代として実感

祖父から継いだ平和への思いを残したいと語る知花くららさん

 ―国連WFP日本大使として多くの国を訪れてきた。一番印象に残り、日本の人々に伝えたいことは何か。

 「最初のザンビアは見て聞くもの全てが衝撃的で、今まで生きてきた感覚では測れないことばかりで頭がパンクしそうなくらい葛藤しました。その時初めて自分の物差しで、知らず知らずにものを測っていたと気付いて。彼らの現実を受け入れるしかない―そう切り替えると、自分に何ができるかを考えられるようになりました。いろんな国で出会う子どもや母親の生の声が心に響く。現地で見て聞いたこと、出会った方のことをできるだけ伝えたい」

 ―自分の活動を「ボランティアというよりプロボノ」と言っているが、その意味は。

 「社会貢献活動にはさまざまな犠牲を払うという感覚が日本では強いですが、自分の知識や技術を通じて何かをすることは日常生活の延長でできます。プロボノがいいと思うのは、自分がいる場所からできることをするという点。自分を犠牲にするのではなく、自分ができることをフラットに、前向きに考える点がすごくいい。私は記事やブログ、SNS、写真などを使って見てきたものを伝えるようにしています」

「生き残って悪かった」祖父は涙を流した

 ―祖父(中村茂さん)から沖縄戦の体験談を聞いている。沖縄戦や平和をどう考えているか。

 「祖父から、慶良間諸島での『集団自決』や慶留間島で何が起きたか、祖父や親戚の身に起きたこと(茂さんは姉と自決しようとした)を聞きました。祖父はそれまで全然話してくれなくて。“今話さなければ”という焦りもあったかもしれません。それを私も受け止め、何が起きたかをできるだけ伝えたい。何かに残したい―という思いです。いろんなことが重なり狂気であふれた時代でした。それは人を正しい方向に導かないと思います。そういう血は流れない方がいい」

 「祖父は『生き残って悪かった』と言いながら涙を流しました。でも祖父が生き残ってくれたから母がいるし、私もここにいる。いまだに生き残ったことをよしとできない祖父の人生を考えた時、すごく寂しい気持ちもあったし、あの戦争はすごく大きな爪痕だと孫の世代として実感しました」

 ―福島の子どもたちを慶留間島に招く「げるまキャンプ」を始めた。

 「東日本大震災以後、福島に足を運ぶ機会が何回かあり、多くの母親たちから『子どもを外で遊ばせるのが怖い』と聞きました。日常生活の中で葛藤していることを知って。慶留間島でお母さんと子どもたちがいっぱい遊んでほしいと思いました」

 ―10年前、「発信する側、伝える側になりたい」と言っていた。手応えは。

 「この10年は国連WFPの活動が軸でした。伝えることにすごく責任を感じてきましたし、講演会やトークショーでは多くの人が熱心に話を聞いてくださいました。それはありがたいことです。活動を始めたころはいろんな批判を受けたこともありました。その一つ一つには正しいことや、なるほどと思うことも多くあって、迷い、葛藤した時期がありました。でも自分ができることを続けようと思い直してからは見方も変わりましたし、年を追うごとにそのような批判の声はなくなりました。“継続は力なり”と言いますが、歩み続けることが大事だと実感した、とても手応えのある10年でした」

 ―今後、具体的にどんなことをしたいか。

 「国連WFPのプロジェクトを伝えていくことです。子どもの健康と教育を支える学校給食プログラムや女性の権利にすごく興味があるので、その点に焦点を当てたい」

沖縄のリアルな声 伝えるためには

 ―最近、メディアの沖縄の伝え方に変化を感じる。かつては同情的な内容も多かったが、一部に排外主義的言動もあり、沖縄を他者のように扱う否定的な伝え方も増えている。

 「沖縄はいろんな問題が根強くあります。沖縄以外の土地で沖縄の問題を語りたくても、実際に“何が”起きているのか、伝わってこないと感じることがあります。前線で座り込みなどの活動をしている方の報道はいくらかあるが、そのイメージが強く、実際に県民が何を感じ、どういう声があるのかは東京にいると感じづらいような気がします。県外の方は遠い所で起きていることという感覚になってしまうのかもしれません。戦争から何十年も経ち、若い世代はSNSで情報を発信している時代。私たちはこれから何をどう伝えるべきかを、新たに考えなくてはいけない」

 「国連WFPの活動で空腹で体が弱っていく人と出会いますが、その感覚はやっぱり想像できません。その意味で完全な共感は難しい。でも同じ命です。講演会などでは、例えば現地のお母さんの状況や悩みなど、現地では何がどのように足りないかを具体的に話すと、女性の目が変わり、興味を持っていただけます。子どもたちも同じで、同じ年頃のアフリカの子どもたちの話には興味津々。沖縄の問題についても、こうあるべき、こうでないと駄目だという考えをいったん取り払い、今、沖縄の人々が本当のところ何を感じているかというリアルな声を伝えることが大切なのかもしれません」

聞き手 編集局長・普久原均

 

ちばな・くらら

 1982年、那覇市生まれ。2006年ミス・ユニバース世界大会2位。女性ファッション誌でモデルを務めるほか、TV・ラジオ・CMに多数出演。15年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で女優デビュー。国連世界食糧計画(WFP)日本大使としてアフリカやアジアなど食糧難の地域への現地視察を行い、日本国内で積極的に現地の声を伝える活動を行っている。

取材を終えて 結び付く知性と誠実さ

編集局長・普久原均

 一つ一つ、言葉を選びながら話す姿が印象的だ。選び取る単語がまた、日ごろそうしたことを考え抜いていないと浮かばない語彙(ごい)だと思わせた。知性と誠実さが切実に結び付いている。

 著書「くららと言葉」には、子どものころ母親が、他の人への貢献を促していたというくだりがある。大学では教育学を専攻し、臨床心理にも関心が高い知花さんだから、紛争地の子どもたちの学校給食を支援する今の活動は、まさにうってつけ、なるべくしてなった姿なのかもしれない。

 沖縄の問題が伝わりにくいという話をした時、すぐに国連の活動に引き寄せ、「完全な共感は難しい」と悩みを語った。やはり日ごろ考え抜いているに違いない。

(琉球新報 2017年6月5日掲載)