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辺野古「道理通らず」 寅のでたらめさ許すのが民主主義 山田洋次さん(映画監督) 〈ゆくい語り・沖縄へのメッセージ〉3


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
沖縄に米軍基地が集中している状況について「これほど納得のいかない話はない」と話す山田洋次監督=東京都中央区(具志堅千恵子撮影)

 「住民が反対して、知事も反対していることを国が無視する。この国には正しい道理が通らないってことになるんじゃないか」

 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設を政府が強行していることについて、強く批判するのは映画「男はつらいよ」シリーズなどを手掛けた映画監督の山田洋次さん(85)だ。

 日本の国土面積の0・6%の沖縄に70%の在日米軍基地が集中していることにも「沖縄は産土(うぶすな)(人が生まれた地)の土地だ。そこに巨大な米国の軍事基地が存在している。これほど納得のいかないことはない。日本人はこの矛盾を抱えながら生きている」と指摘する。

 1980年に公開された「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」(第25作)は大半が沖縄ロケだ。撮影前年に初めて沖縄を訪れたことに触れ「戦争の傷跡を色濃く残した沖縄に、寅みたいなふざけた人間が来ちゃいけないと思っていた。しかし一緒に食事をした沖縄の新聞記者たちから『そんなこと考えずに、連れてきたらいいじゃないですか』と言われ、ちょっと安心した」と当時を振り返った。

寅のでたらめさ 許すのが民主主義

当初は沖縄での撮影をためらっていたことを語る山田洋次さん=東京築地の松竹本社(具志堅千恵子撮影)

 ―「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」の沖縄ロケをしていた1980年、琉球新報に掲載された撮影の様子を伝える記事の中で、監督は「沖縄はとても遊び半分で行くところじゃないと思っていた。昨年初めて来て強い印象を受けた」と話している。沖縄を初めて訪れた時の印象を聞かせてほしい。

 「1979年に初めて沖縄に行き、那覇市の街の中を歩きながら、1945年の6月ごろ、ここはどんなことになっていたのだろうかと思った。戦闘が繰り返され、砲弾が飛び交い、戦車が通り、兵隊が走ったり、人々が死んだりしたのだろうと道を通りながら思いを巡らせた。厳粛な気持ちになった」

 「当時、沖縄はそろそろ観光地になり始めていて、沖縄の海に泳ぎに行く人などが出てきて、ホテルがぽつぽつとでき始めていたころだった。でもね、沖縄にそんな、遊びに行くなんてねぇ。そんなことしていいのかと。沖縄はいわば戦争の傷跡を色濃く残した聖地だ。その海岸で、裸で泳ぐなんてことはすべきではないと思った」

 「沖縄の新聞記者たちと一緒に食事をした。そこで『寅みたいないい加減なふざけた人間が来ちゃいけない場所だと思う』と言った。すると皆に笑われてね。『いいじゃないですか。そんなこと考えないで、連れてきたらいいじゃないですか』と言われて、ちょっと安心した。それで撮影することにした」

基地の異様さ驚き 映画で「爆音」表現

 ―「ハイビスカスの花」で、寅さんが那覇空港からバスに乗り、国道58号を北上する。米軍嘉手納基地の横を通り、疲れ果てて眠りこける寅さんの窓の外で、戦闘機が爆音を立てながら何度も飛ぶ光景を映画に入れた。

 「初めて沖縄に来て、嘉手納基地を見て驚いた。こんな巨大な基地があるのが沖縄なのかと。異様な島だと思った。だから映画に入れた。でも寅はバスの中で寝ていて気付かない。基地のことに何の感想も漏らさない。一番大事なことをすーっと素通りしちゃう人間だ。寅はばかだから気付かないんだが、でも観客はいろんなことを考えていく。沖縄にはこうしたことが背後にあるんだということを。でも寅が起きていれば、寅なりに感想を言っただろう。そんなに間違ったことは言わないはずだ。『ここは日本なのに、独立した国なのに、なんで米軍基地があるんだ』ということぐらいは言っただろう」

 「『男はつらいよ』の最後の第48作は阪神淡路大震災の神戸市の長田が出てくる。震災のあった年の撮影だ。まだ焼け野原が残っていた。長田の人たちが僕のところに来て『長田で寅さんの撮影をしてくれ』と言ってきた。そんなことはできないと言った。あの場所で何千人という人が死んだのに、そこにふらふらと寅が行くわけにはいかないでしょうと。すると長田の人たちが『私たちは寅さん見て大笑いしたいんですよ』と言うんだ。そうなのかと思った。悲惨な目に遭ったから、目を伏せて苦しい気持ちだけでいるわけにはいかないんだなと。ここに暮らしている人にとっては笑って、楽しい気持ちになって、自分をかき立てたいんだと分かった。だから寅が最後に長田に慰問に行くという話にして撮影した。これで寅さんシリーズは終わりを告げる。この時、沖縄に行った時に言われたことと同じだなと思った」

「軍事力やめよう」言えるのが沖縄

 ―「寅次郎ハイビスカスの花」を撮影した37年前と同じく、沖縄には現在も広大な基地が残されている。日本国土の0・6%の沖縄に在日米軍の専用基地が70%も集中して存在している状況をどう思うか。

 「沖縄は産土(うぶすな)の土地だ。そこに巨大な軍事基地が存在している。これほど納得のいかないことはない。中国、北朝鮮、米国との間で深刻な国際問題が起きている。日本はその間に立って互いに仲良くしようと言い続けなければいけない国だ。沖縄はその最も重要な位置にある。軍事力を振りかざすことは絶対やめましょうと一番言える沖縄に、軍事基地がある。日本人はこの矛盾を抱えながら生きている。心ある人たちは悩んでいる」

 ―政府は名護市辺野古に新基地建設を強行している。

 「住民が反対して、知事も反対していることを国が無視する。この国は正しい道理が通らないってことになるんじゃないか。どう説明されても納得できない。子どもたちにどうやって説明できるのか。この国は正しいことが行われているとは言えないんじゃないのか。説明のつかないことが今、沖縄で起きている」

 ―今の日本は間違った方向に向かっているのか。

 「間違った方向、それならどっちの方向が正しいのかって、そんなことは言えるはずがない。ただ政治の指導者が声高に『こうあらねばならない』と叫ぶっていうのは民主主義じゃない。叫ぶのは民衆の側であって、寅のようないい加減な男のでたらめな発言も含めて表現する自由があるのが民主主義だ。それで初めて国全体が元気になるんじゃないか。いつしかこの国は元気がなくなってしまった」

(聞き手 編集局次長・松永勝利)

 

やまだ・ようじ

 1931年、大阪府豊中市生まれ。幼少期を満州で過ごす。54年、東京大学法学部卒。同年に松竹入社、61年に「二階の他人」で監督デビューを果たす。69年に映画「男はつらいよ」のシリーズを開始、95年までに全48作を世に送った。沖縄で撮影した80年の25作「寅次郎ハイビスカスの花」は人気が高く、渥美清さんの死後、特別編が公開された。

取材を終えて 寅さんに導かれ

松永勝利

 「寅次郎ハイビスカスの花」の沖縄ロケは37年前だが、監督が今でも当時を鮮明に覚えているのが印象に残った。沖縄の現状についての見解を問うた時、自身の考えを遠慮なく明快に語る姿勢に心を打たれた。

 東京で生まれ育った私は15歳の時、築地の松竹セントラルという映画館で「ハイビスカスの花」を見た。航空会社のキャンペーンCMの「青い海」以外で、沖縄の日常風景に触れたのは、この映画が最初だったと思う。そして私は18歳から沖縄で暮らし始めた。

 話をうかがったのは松竹セントラルがあった道向かいの松竹本社だ。映画を見てから3年後に沖縄に移り住んだことを伝えると、監督は「へえー、そうか。寅さんの影響か。わははは」と笑いながら感心していた。私を沖縄に導いたのは寅さんだったことを思い出した。

(琉球新報 2017年8月7日掲載)