米、交渉長期化を懸念 宮森ジェット機墜落賠償金 630会、米公文書入手


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米国と琉球政府との交渉が詳細につづられているUSCAR文書の写し

 1959年6月の宮森小ジェット機墜落事故で、米国が一律2千ドルを上乗せして支払った遺族への賠償金について、琉球政府の要求で2500ドルへの上乗せにも応じていたことが19日、分かった。事故を語り継ぐ「石川・宮森630会」が入手した米国立公文書記録管理局(NARA)に所蔵されている琉球列島米国民政府(USCAR)の関係文書に記されていた。米国は直後に控えたアイゼンハワー米大統領の来沖への影響を危惧していたとされ、交渉長期化を避けたい米国の思惑が改めて浮き彫りになった。

 資料は、事故の賠償をめぐってマクローリン空軍省長官行政補佐官らが60年6月8~13日まで4回にわたって開いた会議の模様を記録した議事録。2回目から大田政作主席ら琉球政府側が参加し、両政府間での交渉があった。

 議事録によると、大田主席は13日の最終交渉で賠償金への2千ドルの上乗せについて同意したマクローリン氏に「500ドルを付け加えられれば、何も問題なく解決できる」と提案。

 それに対しマクローリン氏は「これで解決できるというなら、渋々ながらではあるが、賛成する」と応じた。

 その後、遺族代表への説明のために会議を抜け出し、戻った大田主席はマクローリン氏に「喜んでほしい。2千ドルで説得できた」と説明したという。

 別のUSCAR関連文書には、こうした賠償金の裁定を「将来の裁定の根拠として使用されるべきではない」とし、今後の賠償の前例にならないよう特例として扱っていたとみられる。

 最終交渉から6日後に大統領の沖縄訪問が予定されており、マクローリン氏の「来沖までに裁定したい」との発言も記されていた。

 翻訳に当たった保坂廣志さんは「2500ドルの上乗せに応じた点に米側の焦りがみえる。一方で琉球政府側があえて2千ドルで妥結したのは、早期に政治的決着を図りたいという思惑があったからではないか」と分析している。

 630会は入手したUSCAR関連文書の翻訳集を事故から60年に当たる6月下旬に発刊する。

 同会の久高政治会長は「沖縄が置かれた危険な状況は事故があった当時と変わっていない。記録をつまびらかにすることで沖縄の現状も浮き彫りになる」と話した。