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闇市から始まった伝統のレモン水を守る 父の教えを継いで丁寧に〈まちぐゎーあちねー物語 変わる公設市場〉9 跡継ぎの挑戦(1)小嶺勇さん


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小嶺コーヒースタンド2代目の小嶺勇さん。自慢の冷やしレモンは、氷が解けた水と果汁を合わせて作る=7日、那覇市松尾の第一牧志公設市場

 沖縄県那覇市松尾の第一牧志公設市場には、誰もが一息つきに訪れたくなる場所がある。それは「小嶺コーヒースタンド」だ。1坪もないスペースを仕切ったガラス窓の奥にいるのが、2代目の小嶺勇さん(64)。初代の父、故重秀さんの言葉を胸に店を営む。「お客さんに丁寧に、真面目に」

 重秀さんが店を始めたのは、1950年に市場の建物が建つ前の牧志の道端。露天商の中、大きなパラソルの下でボックスに入れたジュースをおたまですくって売った。建物ができてからは市場内に店を構えた。幼い勇さんは「皮がむけて荒れたおやじの指先に薬を塗る係」だったが、父の仕事を知らなかった。中学生になり店を手伝うようになったが、それほど好きな仕事ではなかった。

 高校卒業後に上京。22歳で沖縄に帰った。仕事を探している途中、再び店を手伝うよう言われ、父のそばに立つようになった。驚いたのは父の丁寧な接客だ。「ありがとう」。一人一人に声を掛ける。重秀さんを慕い、市場で買い物を終えた客が代わる代わる訪れ、のどを潤した。

小嶺コーヒースタンド初代の小嶺重秀さん(右)が元気な頃、2代目の勇さんと2人で並んで店に立っていた=1980年代後半頃、那覇市松尾の第一牧志公設市場(小嶺勇さん提供)

 30歳の頃、老いる重秀さんを心配し、跡を継ぐことを考えた。「おやじみたいにできるかな」。もやもやしていた勇さんは親友から掛けられた言葉を今も覚えている。「地味だけどお前に向いているんじゃない?」。何げない一言が勇さんの背中を押した。「よし、徹底的にやってやろう」

 看板メニューの冷やしレモンはもともと米軍払い下げのレモンを絞って作っていた。勇さんたちは農薬が気になり、シークヮーサーに切り替えた。年中提供できるよう試行錯誤し、果汁そのものを冷やす製法にたどり着いた。機械化を迷ったが、大きな氷の上から果汁をかけて作る重秀さんのやり方を引き継ぎ、さわやかで柔らかい味わいを守った。それでもなかなかOKを出さない厳しい重秀さんだったが、約20年前のある日、「味付けがうまくなったね」と初めて褒めてくれた。

 その1カ月後、重秀さんは体調を崩し、店に立つことは二度となかった。「自分がもう無理だと分かっていたのかな…」

 店は客の往来が激しい出入り口のすぐ横。勇さんは店の前を通る客全員に「いらっしゃい」「ありがとうね」と声を掛けている。6月16日の現市場終了後も、仮設、新市場で営業を続ける。「無理なく楽しくやりたいね」。優しい笑顔はきっと父親譲りだ。
 (田吹遥子)