隠される沖縄戦の実相 教科書で日本軍よる「集団自決」強制をなかったことに 家長裁判に関わった元教員 「日本の政治は天皇の言動と逆行」〈令和時代の護憲・上〉


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家永教科書訴訟で出張法廷が開かれた那覇地裁の前で「日本の政治は天皇の言動と逆行している」と語る平良宗潤さん=那覇市樋川

 1982年6月、文部省の検定で高校日本史教科書から日本軍による沖縄戦での住民虐殺の記述が削除された。犠牲者数の根拠が「定かではない」というのが理由だ。当時、沖縄県教職員組合(沖教組)の教科書問題対策委員会に所属していた平良宗潤さんは(78)=糸満市=は戦争の実相を覆い隠す動きに強い危機感を抱いたことを忘れない。

 「平成の天皇は父(昭和天皇)の戦争責任が問われる中で、沖縄への度重なる訪問など象徴としての役割を果たそうとしてきた。そのことをよく考える必要がある」と指摘する。

 教科書検定を巡っては63年に戦争を暗く表現しすぎるとして、家永三郎著の高校用教科書「新日本史」が検定不合格になったことで大きく問題化した。

日本軍による住民虐殺に関する教科書記述の削除を報じる本紙紙面(1982年7月6日付)

 家永氏は検定制度の違憲性を問い、裁判を起こした。これに呼応し、平良さんは同じく社会科の教員だった山川宗秀さんを委員長に教科書対策委を発足させ、教科書問題に関わるようになった。その後、沖縄戦などの記述を巡って第3次家永教科書訴訟が提起され、88年2月、出張法廷が那覇地裁で開かれた。

 「体験者が証言を続ける中で、なかったことにされては実態を教えられない。日本の教育行政は憲法がうたう平和思想、民主教育をゆがめる方向に向かっている」。教育現場に危機感が広がる中、体験者や専門家に加え、現場の声として山川さんが証人に推薦され、平良さんも補佐人として尋問の場に同席した。

 くしくもこの年、昭和天皇が病に伏し、89年1月に逝去。即位した平成の天皇陛下は会見で「日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓う」と語った。

 平良さんは「護憲の言葉に好ましい印象を持った。新しい天皇に一つの希望を見いだすという思いもあった」と振り返った。

 しかし、2006年度検定で「集団自決」(強制集団死)における日本軍強制の記述を削除するなど、教科書から沖縄戦の実態を削除しようとする動きは変わらず続いた。「沖縄戦の体験はある意味で護憲の防波堤。これが隠されれば、改憲への抵抗感も薄れてしまうのではないか。そういった意味で日本の政治は平成の天皇の言動と逆行している」と問題視する。

 集団的自衛権行使を容認し、国の形は大きく変わった。令和の時代を迎えた今、「護憲が遠のいている。子どもたちに沖縄を通して平和を教えることがより求められている」と語り、沖縄戦の実相を伝える教育の重要性を強調した。 (謝花史哲)

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 平成の30年余、沖縄戦の実相をゆがめる動きが顕著になった。一方では改憲の動きが加速した。「護憲」の意味を沖縄から考える。