社会

米軍に銃剣とブルドーザーで土地を奪われ、ブラジルに移住 劣悪な労働環境に強盗被害、激しいインフレ… 沖縄・伊佐浜移民の苦難の半生を本に 帰国後は努力で夢かなえる

 【宜野湾】米軍に土地を接収されたためブラジルに渡り、その後沖縄に戻った澤岻安三郎さん(76)=宜野湾市伊佐=がこのほど、自身の半生を記録した本「伊佐浜土地強制接収とブラジル国へ渡った伊佐浜移民」を発行した。時代に翻弄(ほんろう)される一方、勉学に励んで生計を立ててきた澤岻さんは「踏ん張ってがんばれば夢もかなう」と振り返る。県内の小中高、大学に本を寄贈するなどして自身の体験を伝えている。


半生を記録した本を発行した澤岻安三郎さん=4月24日、宜野湾市伊佐

 澤岻さんは1942年、宜野湾市伊佐生まれ。本は写真や自身で作った集落の配置図を掲載し、当時ののどかな雰囲気を伝える。中学1年生だった55年、米軍は銃剣とブルドーザーで美しい田畑が広がっていた土地を奪い、現在のキャンプ瑞慶覧を造成した。

 琉球政府の勧めで、住民はブラジル移住を決意した。中学3年生になった澤岻さんも両親と共に57年にブラジルへ。コーヒー園で日雇い労働をしたが賃金は安く、土埃(ぼこり)で鼻血が出るほど劣悪な環境だった。

 現地の学校でポルトガル語を学び、やっと環境になじみ始めたが強盗に遭い、激しいインフレなどから両親は帰沖を決断。伊佐浜移民で沖縄に戻ったのは澤岻さん一家のみだった。希望を持ってブラジルに渡ったが、65年に那覇港へ着いた23歳の澤岻さんはゼロからのスタートに不安で「涙が止まらなかった」。

 中学生に混じって技術学校を受験した時、受験者でないと勘違いした会場関係者から「出てけ」と言われ、恥ずかしい思いもした。だが「死に物狂い」で学び、希望だった電気工事士などの免許を取得。働きながら学校を卒業し、建築設計や行政書士の事務所を開いた。

 「自分のような無学の人間がなんとか生きていることを知ってほしい」と願っている。本の寄贈は封書で申し込みを受け付けている。問い合わせは澤岻さん(電話)098(898)5716。

 (金良孝矢)