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優しい味付けのてびち、そば…思いやりあふれる母の味を継ぐ〈まちぐゎーあちねー物語 変わる公設市場〉10 跡継ぎの挑戦(2)津波古民子さん


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母の糸数ツルさんから継いだ店を守る津波古民子さん=那覇市松尾の第一牧志公設市場

 お昼時、那覇市松尾の第一牧志公設市場2階にある食堂「さくら亭」の席は、おなかをすかせた観光客で次々と埋まる。厨房では、2代目の津波古民子さん(61)が、五つのコンロを同時に操る。卵を焼きながら大きなフライパンを振り、深鍋で温まっただしをかき回す―。「はい、そばね」。目が回りそうな速さで出てきた沖縄そばは、優しく懐かしい味がした。

 店はかつて「親子食堂」という名前だった。1950年代ごろ、津波古さんの母で初代の故糸数ツルさんが始めた店だ。72年、新しい建物になった第一市場では、2階に出店した。当時、エプロンや肌着を売る店が多い中で食堂はたった2軒。カウンターだけの小さな食堂だった。その頃、ツルさんと一緒に店を切り盛りしていた姉が県外に嫁いだ。「1人で店をさせるのもな…と思って」。中学を卒業したばかりの津波古さんが店を手伝った。

 メニューは日替わりで、中身汁、サバのみそ煮…。市場の人が昼ご飯を食べたり、子どもを預けたりしにやってきた。口数が少なく、めったに怒ることがなかったツルさん。津波古さんは「口に出さなくても、人のためにやる人」と振り返る。隣で店を出していた韓国人の親子を気遣い、「キムチのだしにしなさい」と自分で作ったスープをあげることもあった。

「さくら亭」の前身である「親子食堂」を始めた糸数ツルさん。津波古さんはこの写真をいつも持ち歩いている

 ツルさんは、津波古さんにも指示したり教えたりすることはなかった。津波古さんはツルさんの手つきを見て、てびちのおつゆなどの人気メニューを覚えた。ある時から、ツルさんは自分が作った料理を津波古さんに味見させるようになったという。津波古さんは「自分で味見して」と素っ気なく返したが、程なくしてツルさんは心筋梗塞で亡くなった。今から20年ほど前、市場から家に帰ってきたところだった。「今思えば、自分の味を覚えてほしかったんだと思う。もっといろんな料理を教えてもらえばよかった」

 いったん市場から離れていた津波古さんが再び食堂を開いたのは約15年前。夫の正和さん(66)と2人で「さくら亭」と名を変えた。今は刺し身などのメニューも増やし、観光客でにぎわう。仮設、新市場でも営業を続ける予定だ。「お客さんがまた来たいって思える店や市場でありたいです」と津波古さん。市場の人や客を家族のように大事にしたツルさんの写真をお守りに、今日も腕を振るう。

(田吹遥子)

(2019年4月16日 琉球新報掲載)