北部訓練場「7割遊休」 日本政府、71年に認識 「大幅返還可能」も言及


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復帰交渉時に本島北部の米海兵隊訓練場返還の必要性を指摘する71年の外務省文書(山本章子氏提供)

 沖縄が日本に復帰する前年の1971年、在沖米軍基地の返還に関して米側と協議していた日本政府が、米軍北部訓練場の大幅な返還が可能だとの認識を示していたことが分かった。琉球大学の山本章子講師が外務省外交史料館で確認した解禁済みの機密文書によると、当時の外務省は「北部演習地の70%はほとんど使用されていないので返還を求めるべきだ」との農林水産省の見解を明らかにしている。別の外務省文書は「海兵隊の訓練地域はかなりの面積を減じ得る」との認識を示していた。ただ北部訓練場は復帰後も長く大幅には返還されず、復帰44年後の2016年になって過半が返還された。

 山本氏は16年の北部訓練場の過半の返還について「沖縄返還交渉当時を読み解けば、(過半の返還は)半世紀遅かった」と指摘。復帰前には北部訓練場や周辺の訓練場を林業を営む住民が活用していた経緯に触れ「復帰後には地位協定に基づく提供施設となったことで、林業者のアクセスがさらに規制され、生活の場を奪った」とも。

 外務省安全保障課が71年4月1日に作成した「秘」扱いの文書「沖縄海兵訓練地域の縮小の可能性についての内話」は、北部訓練場について「外辺部分は実際の訓練区域へのアクセスのために確保している」という駐日米大使館の見解を報告。それに対し日本側は「(日米)地位協定5条で施設区域へのアクセスは確保されているのだから、訓練に全く使用することなく、ただ通過のためにのみ必要な部分を施設区域とすることは適当でないと主張した」と記している。

 米軍が復帰前に地元国頭村との契約に基づき、使用条件を定めて使っていた安波訓練場などの「臨時訓練地」について、外務省条約課による71年3月8日付の「極秘」扱いの文書「復帰に際しての施設・区域提供問題」は使用の正当性を疑問視。「臨時使用は提供しないとの方針で臨むべきだ」としていた。

 しかし、安波訓練場は復帰後、日米地位協定に基づく提供区域に位置付けられた。98年まで米側に提供された。

 米海兵隊が13年に作成した文書「戦略展望2025」は、16年の北部訓練場の部分返還について「訓練場の51%の使えない土地が日本政府に返還される」とし、対象地が遊休化していた実態を認めている。
(島袋良太)