【記者解説】沖縄復帰47年 玉城デニー県政に求められているのは?


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米軍普天間飛行場の移設先として、埋め立てが進む名護市辺野古の沿岸部=3月

 沖縄が日本に復帰して15日で47年を迎えた。米国統治下の27年間、県民は基地のない平和な沖縄を望んだが、現在も国土面積約0・6%の沖縄に日本全体の約70・3%の米軍専用施設が集中する過重な基地負担が続いている。県民はこれまでの知事選挙や国政選挙、今年2月の県民投票などで辺野古新基地建設に対して繰り返し「反対」の民意を示してきたが、政府は顧みず建設工事を強行している。一方で、社会資本整備などは進み、県民生活は向上してきたが、全国一高い非正規雇用率や子どもの貧困率など多くの課題が残されている。

 沖縄が日本に復帰してから47年が経過した。本土復帰運動を後押しした「基地撤去」を求める県民の願いは実現せず、格差や貧困など問題が山積している。玉城県政は新たな基地負担につながるとして辺野古新基地建設を拒否しているが、政府は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設が既に日米で合意した基地の整理縮小の前提という姿勢を崩していない。沖縄21世紀ビジョンの推進などで持続可能な発展を目指す玉城県政は、同ビジョンが設定した自立型経済の構築目標年である「復帰50年」まで3年に迫る中、日米両政府を相手に難しいかじ取りを迫られている。

 21世紀ビジョンは「沖縄の過重な基地負担の軽減に向けた効果的な方策等について研究・検討し、県としての考え方を取りまとめ、問題提起をしていく必要がある」とし、2022年の復帰50年に向け自立型経済の構築や基地問題の解決を掲げている。

 ビジョン実施計画の実施を巡って県は毎年、目標値に対する進捗(しんちょく)状態を点検(PDCAサイクル)しており、17年度のPDCAでは成果指標で8割が「前進」だった。

 一方、関係機関との調整や交渉に時間を要したり、対応が遅れたりしたことなどで「未着手」や「大幅遅れ」「やや遅れ」の案件が99件あった。今後、これらが改善できるか注目される。自立型経済に不可欠となる基地返還を巡っては、1996年に大田県政が「基地返還アクションプログラム」を策定し政府に基地の段階的な返還を迫った経緯がある。その姿勢は21世紀ビジョンに引き継がれている。

 玉城知事は基地問題の解決に向け、日本政府に対し「日米特別行動委員会(SACO、サコ)」に沖縄を加えた「SACWO(サコワ)」の設置を要求しているが、実現の見通しは立っていない。日米両政府に交渉の窓口を開かせるためにも、玉城県政は国際社会に沖縄の現状を訴える広報活動や独自外交などの戦略が不可欠となる。

 一方の日米政府には、復帰から47年がたっても基地集中が変わらない沖縄の現状を抜本的に変える責任がある。
 (松堂秀樹)