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お笑いで米軍基地問え 山城智二さん(FECオフィス社長) 〈ゆくい語り・沖縄へのメッセージ〉12


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山城智二さん=那覇市のFECオフィス

 「お笑い米軍基地」シリーズが今年、上演14回となった沖縄お笑い団体FECオフィス。芸人でもあり、所属芸人35組50人を率いるのが山城智二社長(47)だ。

 小さな島に置かれた米軍基地の不条理さを風刺しながらも、時には基地問題に翻弄される県民をもちゃかす。「右からも左からも怒られる」と笑うが、お笑い米軍基地は毎回、ほぼ満席。最近は護得久栄昇氏というヒット・キャラクターを生み、メジャーレーベルからCDも発売する。

 沖縄という小さな市場でお笑いを生業(なりわい)とするビジネスモデルとは。

沖縄でしか見られない笑い生み出す

―学生時代からお笑いの道を目指していたんですか。

 「前身のFEC(フリー・エンジョイ・カンパニー)はうちの兄貴(達樹さん)が沖縄大学のサークルとして1998年に立ち上げたんです。学園祭で兄貴と渡久地政作さん(前那覇市議)のファニーズらFECの何組かで初めてお笑いを披露したら、お客さんが満杯でめっちゃウケた。それで調子に乗って。俺たちいけるんじゃないのって。90年、パフォーマンス大賞という県内の大会でファニーズが優勝して、テレビやラジオの出演依頼が相次いだ」

兄・達樹さんの“遺産” 仲間に支えられ継ぐ

FECの芸人と山城智二さん(中央)=那覇市のFECオフィス

 「兄貴は卒業後、取材と称して大阪の吉本興業本社に行って、お笑いビジネスのノウハウを聞いたんです。学んだのは、芸人の主体は舞台だっていうことだった。吉本の芸人さんは自前の劇場で日々技を磨いているからテレビで活躍できる。だからこそ俺たちも毎月1回の舞台は今も欠かしません。さらに自分たち1組だけでなく、チームで勝負したいと考えていた。兄貴の手帳に『沖縄のお笑いを確立させたい。チームを作る』と書いてある。最終的な目標は沖縄にいながらにして外からオファーが来る、というものだった」

 「ところが96年、兄貴が急死するんです。事務所を立ち上げて3年でした。原因は過労ですね。タレント活動をし、事務所の裏方も全部やって。内地に打って出るために音楽の分野に挑戦して、CDを出したんです。ただでさえ忙しいのにプロモーションに駆け回って。イベントの後、打ち上げで飲んで、夜そのまま亡くなった。今でも兄貴の仕事を負ってあげたらこうなってないかもなって思う」

―思いがけず、FECを引き継ぐことになった。

 「引き継いだものの、何から手を付けていいか分からんし、何をしても楽しくなくて、苦しくて。鬱(うつ)状態だったんでしょうね。朝起きられないし、バイクで走っている時、このカーブを曲がらないで真っすぐ行ったら楽になるな~って思いが頭をよぎりました。でも、2年過ぎた頃、兄貴を追い掛けても仕方ない、俺のやり方をしようと考えたら解き放たれ、仕事も楽しくなった。メンバーは離れた人もいたが、芸人はFEC愛にあふれていた。一緒にやろうって。まーちゃん(小波津正光さん)もハンサムの仲座健太さんも支えてくれた」

看板「お笑い米軍基地」 危険だからこそ面白い

―FECの看板となる「お笑い米軍基地」が生まれますね。

 「まーちゃんが東京に“修行”に行って、2004年に米軍ヘリ沖国大墜落事故が起きた。でも東京では五輪の話題などで沖縄の大事故をほとんど報じない。まーちゃんが怒りを込めて、うちなーぐちで、沖縄の新聞を見せてステージでネタにしたら思いのほかウケた。そして05年に東京から持ってきた企画が『お笑い米軍基地』だった」

―最初、どう思いましたか。

 「危険だけど面白い、と。普段、米軍基地の問題を話題にすることはほとんどない。それをネタにするなんて、とも思ったが、お笑いという手法で基地問題を伝えるのは沖縄の芸人しかできない。初めてお笑い米軍基地をやった時、基地反対運動をしていた年配の人たちが大勢来て、大爆笑で、帰りに握手を求めて来た。反対運動をしても変わらない現状に諦めていたけどこれは新しい手法だよ、などと礼を言ってくれた。怒られると思ったが、やって良かったなと。それで14年続いている」

「お笑い米軍基地」でパンダを叱咤激励する某市長に扮する山城智二さん(左)。風刺の目は沖縄で起こること全てに注がれる=6月17日、宜野湾市民会館

―お笑い米軍基地は基地を押し付ける日米両政府、米軍だけでなく、基地反対の人もちゃかしてる。

 「それがお笑い的だし。僕らは答えを出さない。見た人が答えを出してほしい。もちろん、日米両政府や米軍のおかしさも出すけど、基地に翻弄(ほんろう)されている中で何かが分からなくなっている矛盾したウチナーンチュの姿をちゃんと自覚しないとね、って。客観的になる装置の一つとして」

―ネタによっては危ないと思うこともあるのでは。

 「ありますよ。でも危ないからこそお笑いだと思うし、ギリギリスレスレでいくのがお笑いの魅力。それを失わないようにしている。ただ、僕が、まーちゃんにこれはやめとこうって言ったのは1本だけ。天皇に扮(ふん)した人が出るコントで、その写真が一人歩きしたために右翼からの抗議がすごくて。街宣車が来たり、企業に嫌がらせの電話をされてうちの芸人が出たCMが打ち切られた。その時こう考えたんですよ。彼らにとっては宗教みたいなものじゃないですか。僕らがトートーメーを大事にして他人になんか言われたくないのと同じ。じゃあ、直接的な表現は避けようかと、まーちゃんに丁寧に説明して、分かってもらいました。それは社長としての判断だった」

―沖縄という人口145万人の小さな市場で、お笑いで「食っていく」というのは大変なことだと思います。FECのビジネスモデルってどんなものですか。

 「構造としては事務所の前に演芸集団FECというのがあって、舞台に立ちたい芸人が集まって、その中から実力を付けて事務所のFECオフィスと契約に至る」

 「いま、8人ほどはお笑いの仕事だけで飯を食っています。内地の芸人さんはテレビ、ラジオ、CMの仕事で収入を得ますが、沖縄ではテレビ、ラジオは顔を売る手段。イベントの司会など営業を積み重ねてますよ。市町村の依頼で、健康や男女共同参画などをテーマにコントを作り披露しています。あと、披露宴の司会。沖縄の披露宴はお客さんを楽しませる点が重視されるから芸人に盛り上げ役としてオファーが来る」

 「ウチナーンチュ芸人が沖縄の言葉で、沖縄にこだわったネタで笑ってもらう。その土地でしか見られない笑いを生み出せば県外からもお客さんが来る。それでちゃんと車、家を持てて、家族と暮らしていけると。芸人になりたい若い人に夢を与えたいですね」

―昨年は音楽レーベルも出し、護得久栄昇さんというキャラクターも大人気ですね。

 「理想は自分たちの箱(劇場)を持って365日公演したい。今度、護得久の楽曲を含む16曲入り初のアルバムを出します。沖縄の琉球舞踊などの芸能の色鮮やかさを見習って、いろいろな分野に挑戦して“沖縄のお笑い”を確立したい」 聞き手 経済部長・島洋子

聞き手・島洋子経済部長

やましろ・ともじ

 1971年生まれ、那覇市出身。沖縄大卒。大学在学中に兄の達樹さんが立ち上げたサークルFEC(フリー・エンジョイ・カンパニー)に参加。達樹さんの急逝に伴い96年、FECを引き継ぐ。現在、芸能事務所の有限会社FECオフィス社長。主な出演はテレビ「ハルサーエイカー1・2」、映画「born、bone、墓音」など。

取材を終えて 「お笑い御殿」建ててほしい

聞き手・島洋子経済部長

 FECの看板である「お笑い米軍基地」では、裏方さんを含め若い人たちがきびきびと動いている。お笑いが好きで働いているという思いが伝わる。同時に疑問が湧いた。沖縄の小さな市場で、お笑いで「飯を食う」ことができるのか。経済担当のさがであろうか。

 山城さんは大学卒業後、ずっとお笑いを生業としてきた人だ。しかも個人タレントではなく、社員と所属芸人を率いる。

 兄・達樹さんの急逝も含め、社長の歩みは厳しいものだったであろうが、沖縄の地でしか見られないお笑いを目指す。「若い芸人たちがお笑いで家や車を持てて生活できるようにしたい」と話す山城さん。ぜひ、県外からもファンが続々来るような沖縄のお笑いを育てて、「お笑い御殿」を建ててほしい。

(琉球新報 2018年8月6日掲載)