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教科書問題巡り「奇策」 前川喜平さん(元文部科学事務次官) 〈ゆくい語り・沖縄へのメッセージ〉17


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2月の沖縄県民投票を「明確な民意」と語る前川喜平氏=那覇市泉崎の琉球新報社

 国の教育行政のトップにあった経験から、日本の針路や教育について、歯に衣(きぬ)着せぬ提言を続ける元文部科学事務次官の前川喜平さん。2011年以降、沖縄で大きな問題になった八重山の教科書共同採択で、13年から文科省初等中等教育局長として携わった。

 最終的に県、竹富町、石垣市、与那国町の当事者たちが納得する結論で事態を収めた「奇策」とは。その後日談は。

官僚は政治の暴走止める役割

―八重山の教科書問題の経緯について聞きたい。

 「2011年、教科書の共同採択地区であった八重山3自治体の採択協議会で石垣市、与那国町が中学公民教科書に(保守的な)育鵬社を選んだ。竹富町は東京書籍を選び2対1となった。ただ、協議会は教科書候補を決めるだけで、最終的に決めるのは教育委員会。竹富町教委は全会一致で東京書籍にした。文科省は無理やり竹富町が間違っているという結論に持っていこうとしていたが、結果として竹富町の採択した教科書は教科書無償措置法上は適法ではないが、地方教育行政法上は有効とみなし、無償給付はしないと決めた。竹富町は寄付金で教科書を買って、事態は一応収まった」

 「第2次安倍政権下で下村博文文科大臣、義家弘介政務官が問題を蒸し返した。竹富町が育鵬社を使わないことに業を煮やした下村さんらは13年10月、地方自治法上の是正要求を指示し、14年3月に地方自治法に基づく是正要求を町に出して追い込んだ。私は指示自体が根拠がないし、国地方係争委になったら国が負けると思っていた」

 「私が担当の初等中等教育局長になって当時の諸見里明県教育長、その前の仲村守和教育長には本心を話していた。表向き私は県に指導するが、裏で諸見里さんに『検討すると言いつつ(結論を出さずに)引っぱといてください』とお願いした。実はその時、教科書無償措置法の改正を検討していた。政権側は、竹富町のようなけしからん自治体が出ないよう共同採択は絶対に一本化すると。これにもう一つの改正を潜り込ませた。郡単位で一つの共同採択地区をつくっていた縛りを緩めた」

教科書無償措置法の改正後、前川喜平初等中等教育局長(右)に竹富町を八重山の教科書共同採択から分離したことを報告する諸見里明県教育長。事態は2人の思惑通りに進んだ=2014年5月22日、文科省

―だまされましたね。私も13年11月に諸見里教育長が文科省の上野道子政務官に呼びつけられて、県が町へ是正要求をするよう指示された時、取材した。諸見里さんは政務官の前では深刻な表情だったが、面談後は意外にもにこにこしていた。下相談は出来ていたのですね。

 「諸見里さんはすごくねばってくれた。竹富町の慶田盛安三教育長も演技派だった。教科書課の職員は私の方針をちゃんと分かって局内は一枚岩だった。大臣にご注進する人もいなくて、法案は通った。県はすぐに共同採択地区を見直して、竹富町を分離した」

―前川さんの話で謎が解けました。でも国会で共同採択を変えるつもりはないという答弁をしましたね。

 「私は国会でうそをつきました。『法改正で竹富町を独立(分離)させることはできるんじゃないのか』という質問に対し、『そんなつもりは毛頭ありません』って答弁した」

―後日談は。

 「自民党文部科学部会で義家さんたちから随分責められた。『県教育長は分離しないと言ったが県教委で分離を決めた』という理屈でしのいだ。下村大臣は大人で、この結果で良かったって言ってました」

政治への迎合を文科省がやった

―官僚も国会でうそをつくんですね。

 「つくんです。官僚には政治の行き過ぎにブレーキをかけるという役割がある。特に教育行政においては政治の暴走や介入の防波堤にならなきゃいけない。ただその手法は正面切って抵抗するんじゃなく、ぬらりくらりと、私なんか面従腹背のプロだから。やりますと言ってずーっと検討し続ける」

 「高校日本史教科書の沖縄での集団自決(強制集団死)の記述では、第1次安倍政権でやってはいけない政治への迎合を文科省がやっちゃった。安倍晋三さんは歴史修正主義者だから。集団自決について軍の関与や軍命がどの程度あったかは学者が議論する中で出すもので、役人や政治家が判断してはいけない。なのに安倍さんの意向を忖度(そんたく)して決定した」

歴史修正主義を教育に押しつけ

「官僚には政治の行き過ぎにブレーキをかける役割がある」と語る前川喜平さん=那覇市泉崎の琉球新報社

―圧力は強まるか。

 「強まっている。日本会議のような勢力が強まっているから。歴史修正主義で国家主義的な教育を押しつけようとしている。最近は道徳教育に異常な関心を寄せる。道徳の教科書が非常に問題だ。例えばこんな話。少年野球の星野君はあと1点入れば勝ちの場面で打順が回ってきた。監督の指示は送りバント。でも星野君は自信があり二塁打を放ちサヨナラ勝ちした。ところが監督は『決まりを守らなかった選手がいる。星野だ。自己犠牲の精神がない人間は大人になっても社会に役立つことは出来ない』と責める。自分を殺し、物を考えるなという方向に子どもを誘導する、本当に危ない」

―2月の県民投票で辺野古新基地の埋め立てについて投票率は52%で、72%が反対という結果が出た。どう考えるか。

 「私はね、ここまできたら沖縄は本当に独立を考えてはどうかと言いたい。琉球共和国をつくるなら私も国民として参加する。ここまで中央政府から無視され、踏みつけられて。安倍政権は言葉だけは真摯(しんし)に受け止めると言っているけど、民意を踏みにじっている。県民投票はシングルイシューで知事選の玉城デニーさんの得票より多かった。明確な民意だ。本土側はメディアや教育の場で沖縄の問題を学ぶべきだ。私が現職の時、高校生百人委員会というのがあって、全国からさまざまに違う子どもが一堂に会して議論した。沖縄の子の発言で初めて沖縄のことを知ったという高校生もたくさんいた。そういう機会をつくるべきだ」

聞き手 編集局次長・島洋子

まえかわ・きへい

 1955年、奈良県生まれ。東京大学法学部卒。79年文部省(現文部科学省)入省。大臣官房長などを経て2013年初等中等教育局長。14年文部科学審議官、16年文部科学事務次官。17年に文科省天下り問題の責任を取って辞任。現在は自主夜間中学のスタッフとして活動しながら講演、執筆活動をする。

取材を終えて 官僚の知恵の結晶

経済部長・島洋子

 国会でうそをついたとおっしゃる前川喜平さん。しかし、そのうそは昨今の森友加計問題のように、権力に忖度し、横暴をかばうものではない。政治の暴走を止めるという官僚の知恵の結晶だった。国民が期待しているのはこうした官僚像ではなかったか。

 諸見里明元教育長によると、前川初等中等教育局長と面談した際、前川さんは記者の前で「まーこーとに遺憾だ」と怒声を出した。記者が退席した後は「ごめん、ごめん、大声出しちゃって」と笑ったそう。前川さん、ご自身も演技派ではないですか。記者も大臣もみんなだまされました。

(琉球新報 2019年4月1日掲載)