所狭しと並んだ色とりどりの珍味に漬物。平田漬物店の2代目・玉城鷹雄さん(68)はその中から島ラッキョウの漬物をひょいと箸でつまむと、店の前を通り掛かった若い観光客にすっと差し出した。「はい、食べる? どこから(来たの)?」。リーゼント頭と人懐っこい表情がトレードマークだ。
平田漬物店は戦後間もない1947年、鷹雄さんの母・平田文子さん(90)が闇市で始めた。50年に現在の場所に公設市場ができ、文子さんの店も入居した。
商品のラインアップは時代に合わせて変化させてきた。最初はつくだ煮が中心。80年代は塩ジャケなどの海産物が台湾からの観光客によく売れた。今は観光客に人気のある島ラッキョウやゴーヤーの漬物を多くそろえる。長年売っている島ラッキョウの漬物は当初、100グラム100円の安値だったが、90年代の沖縄ブームで人気に火が付いた。
鷹雄さんは観光バスの運転手をしていた。漬物店が忙しくなったため、「一人息子の自分が継がないといけない」と思い、31歳の時から妻ルリ子さん(58)と共に店を手伝うようになった。当初は接客業に慣れなかったが、ゆんたく好きの性格で客をつかんでいった。
3代目は四男の文也さん(29)。幼い頃から店を手伝い、お小遣いは時給100円だった。長男の康鷹さん(35)は近くで酒屋とバーを経営し、バーでは漬物も出す。三男の重徳さん(32)は漬物の通信販売とバーの経営をしている。息子たちの妻は漬物の配送を担い、家族で店を支えている。
文也さんは福岡県でデザイナーをしていた。鷹雄さんが体調を崩したことを機に、4年前に店を継いだ。「頭の片隅には店のことがあった。ここを残したいという気持ちが強かった」。デザインの技術は漬物店でも生かされている。父の髪型から着想を得て、リーゼントのドクロを店のトレードマークにした。そのTシャツを売り出すと、漬物店とは思えないデザインが受けた。島ラッキョウの漬物を長年販売している歴史を前面に出し、ブランド化を図っている。
いつの時代も変わらずに大切にしてきたのは客とのコミュニケーション。人当たりの良さは父譲りだ。「父や祖母から『お客さんは商品だけでなくあんたを買いに来ているんだよ』と教わった。市場が新しくなっても相対売りの良さを大切にする姿勢は変わらない」。文也さんがそう語ると、そばで聞いていた鷹雄さんの顔が引き締まった。「そう。相対売りは心で売るわけよ」。
(伊佐尚記)
(2019年5月14日 琉球新報掲載)