強い日差しが照り付ける中、参加者は「平和な沖縄を返せ」「平和憲法を守るぞ」と何度も拳を上げた。沖縄の日本復帰47年に合わせて、19日に宜野湾市で開かれた県民大会には約2千人(主催者発表)が集まった。踏みにじられ続ける「基地ノー」の民意。それでも参加者たちは「平和を求めて声を上げ続ける」と前を向く。
「基地はいらない」。沿道を進む参加者たちがシュプレヒコールを上げる。その横を、警察車両に前後を挟まれた右翼団体の街宣車が並走し「恥を知れ」「沖縄から出て行け」と大音量で罵声を浴びせ続ける。17日から始まった平和行進。何度妨害されても、歩みを止めることはない。
「久々に行進したけど、若い頃よりも体力を消耗したね。年を重ねたことを実感した」というのは那覇市の70代女性。苦しい表情を浮かべながらも「それだけ沖縄の現状が変わっていないということも実感した。できることは微々たるものだが、体力が続く限り声を上げ続けたい」。声は力強い。
大会会場となった宜野湾海浜公園屋外劇場は、風がほとんどなく、直射日光で気温がぐんぐん上がった。客席は多くの県民と、県外から連帯する人たちとで埋め尽くされた。
会場には子どもたちの姿も多く見られた。南風原町から祖母大城ミヨコさん(71)と一緒に来ていた小学5年の日菜さん(10)は、自ら進んで参加した。ミヨコさんの祖母は沖縄戦の犠牲となった。「ひいひいおばあちゃんは、なぜ死んでしまったのかちゃんと知りたい」。3年生の頃から沖縄戦を調べ始め、沖縄陸軍病院南風原壕にも行った。
「たくさんの人が壕で亡くなったのかと思うと怖かったけど、ちゃんと見なきゃいけない」。友達と一緒に遊びたいという気持ちもある。それでも「反対運動をしている人たちはお年寄りばかり。私たちが頑張らなきゃいけない」と、まっすぐな瞳で語った。