松川英樹さん(居酒屋「アラコヤ」経営) 栄町活況の仕掛け人 「どこでも修行していないのがコンプレックスだった」 藤井誠二の沖縄ひと物語(3)


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 ヒデキさん、と彼を良く知る料理人たちは呼ぶ。親しみと畏敬と信頼感を込めて。那覇・栄町の飲食業界をひっぱり、うらぶれたイメージだった街をグルメタウンに変え、リピーターを増やし続けている仕掛け人のリーダー格である。松川さんが2012年に出店した「アラコヤ」は超人気店になり、いまや3店舗を展開する。

 「栄町がここまで可能性を秘めている町だとは思っていなかった。店づくりは街づくりだと思っていて、これだけ街が活性化すると、勝手に沖縄の飲食店を背負っている気持ちになってきました」と照れ笑いするが、これは大資本が入るなどして再開発をせずとも、県内外の新世代が安くて美味い料理を提供する店を相次いで出すことで、街が一皮むけることの一翼を担った自信でもある。

2店舗目となる立ち飲み屋「トミヤランドリー」の店内に立つ松川英樹さん=3月17日、那覇市安里(ジャン松元撮影)

独学

 栄町には有名店が点のように存在していたが、それをネットワーク化して面に変えたのが松川さんたちの世代だ。今年1月には栄町の飲食店組合の組合長にも就任した。「アラコヤ」がオープンしたとき、私は某漫画雑誌で4年半続けた日本中のホルモン名店を食べ歩くコラムを担当していた。口コミで「アラコヤ」を知ってすぐに食べに行き、供された豚の内臓の串焼きや煮込み、シャルキトリー(ソーセージやハム等)を食べて刮目した。

 てっきりどこか東京のモツ焼の老舗で修行を積んだ青年が始めたのだと思ったのだが、違った。すべて独学と言う。私はとりわけ、モツ煮込みの美味さに驚いた。

 縦に開いた豚の直腸を鶏ガラスープで煮込み、花山椒を入れ、米でとろみをつけるという、韓国料理のサムゲタン風に仕上がったそれは、味わったことがない逸品だった。どの料理にも松川さんのつきぬけた才能が凝縮されていた。

 「どこでも修行してないのがどこかコンプレックスだった。だから、インプットをすごくする。たくさんの店で食べて舌で覚え、研究を繰り返す。その中で自分のフィルターを通して料理に生かします。でも最近はそれが俺のいいところだと思えるようになってきました。何々料理出身とか、どこどこの名店出身とか、そんなの関係ないって」

内臓食に目覚め

 18歳で宮古島から那覇に出た。東京もふくめ、飲食に携わる仕事を続けるうちに、内臓食に目覚めた。東京の下町の老舗でモツ串焼きや煮込みを食べて、沖縄でもでそれに負けないものを出したいと思った。狙いは当たり、モツ串焼や煮込みが一気に流行りだした。

「沖縄で手作りのシャルキトリーのや、豚モツ焼を仕掛けた自負はありますが、うちの業態だけ真似したところはすぐ閉店してます。それでも、味もスタイルも洗練されたすごい店もできてきて、追いつけ、追い越せみたいな気持ちになります」と那覇の一銀通りにあるモツ焼屋の名前をあげた。私も大好きな店だ。

 松川さんは「そこのオーナーとは友だちだけど、同業者同士、仕込みは一切聞かないのが礼儀だと思ってますし、リスペクトが自分の料理人としてのモチベーションにもなります。だから、モツの部位によってはミリ単位で捌き方を変えたりして今も研究を重ねてますよ」と笑った。かつて私が感動した「アラコヤ」の煮込みも、2店目にあたる「トミヤランドリー」で提供される、モツの旨味を最大限活かしたシンプルな一品に進化している。

 3店目は立ち飲みの関西風おでん。その名も「べべべ」。ここでも内臓がおでん風に供されるのだが、牛タンの「おでん」にすりおろしたフレッシュな西洋ワサビが乗る一品には、私が知らなかった豊穣な旨味の世界が広がっていた。

 「濃い目の低温のおでん出汁に牛タンをつけておいて、注文が入るたびにあっためてそれを出します。うちのおでん鍋には常時、4種類しかネタが入ってなくて、あと20種類ほどの季節の野菜とかはおでん出汁でおひたしにしてあるんです。ほどよい食感を残すためです。おでん鍋で煮込み続けると食感がなくなりますから。いま仕入れに行っても、食材がおでん種にしか見えないです。どうやっておでんにするかって考えちゃいます」

次は沖縄料理

 栄町をさらに盛り上げるために、「栄町サーカス」というプロジェクトを立ち上げて食と音楽をベースにしたイベントも仲間たちと店舗で仕掛けていく。将来は、1950年代には栄町ロータリーで行われていた大綱引きを再現したい。

「栄町社交街」の看板が立つロータリー付近でおどけて見せる松川英樹さん=3月17日、那覇市安里(ジャン松元撮影)

 「栄町って、昼間から酔っているおじいがいまだにいて、ちょんの間もある。そういう人たちを追い出さないのが町の余裕というものだと思うし、そういう風景がなくなると町が息苦しくなるとも思うんです。栄町らしく、老若男女が楽しめるイベントを仕掛けていきたいですね」と近い将来を見据える松川さんは、今後はあえて「沖縄料理」と向き合いたいと言う。

 「沖縄の人は沖縄の料理を実はあんまり食べてないですよね。沖縄の人にこそ、沖縄の食材を味わってほしい。沖縄で生まれ、沖縄で育った料理人が沖縄の食材とどう対峙するのか。料理人冥利につきる。沖縄料理を分解して再構築したいと思っています」

 栄町は市場の場内と場外でも人が還流する。ほの暗い路地にも予約がなかなか取れない店がいくつもある。松川さんたちは店を出る客に「ありがとうございました」に加え、「いってらっしゃい」と声をかける。同じ店で飲み食いしていた客同士が、別の店で席を隣にすることはしょっちゅうだ。(ノンフィクションライター)

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

松川英樹

 まつかわ・ひでき 1974年沖縄県宮古島市生まれ、宮古高校卒。那覇市内の飲食店や東京の飲食店で勤務後、2012年栄町にて「アラコヤ」をオープン。17年「トミヤランドリー」、18年北谷・美浜に「アラコヤ」2号店、19年「ベベベ」オープン、20年5月美浜にて新店舗オープン予定。19年7月7日(日)、栄町15店舗で音、食、アート、落語などミックスカルチャーのイベント「栄町サーカス」を開催予定。

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。