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変化続ける2代目 上間喜壽さん(上間フードアンドライフ社長) 〈ゆくい語り・沖縄へのメッセージ〉18


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上間喜壽さん

 大学を卒業したばかりで家業を継いだ2代目が、2億円の借金を抱えた「上間弁当天ぷら店」(沖縄市登川)を立て直したストーリーが話題を呼ぶ上間フードアンドライフ社長の上間喜壽さん(34)。

 「破綻の窮地までいって半ば強制的に代替わりした。苦労をともにしながら経営スキルを身に付けてきた僕らの経営は相当強い」と語り、クラウド技術を駆使して中小企業の経営改善を支援するITベンチャー社長としての顔も持つ。

 沖縄天ぷらや重箱料理の販売のみならず新たなケータリングサービスやコンビニへの商品供給など、市場に合わせた変化を続ける。一方で「食を通じて沖縄の文化を守り、伝え、発展させる」というローカルへのこだわりも揺るぎない。

 「今、沖縄はアジア、日本さまざまな場所のネットワークのちょうどいい中継地点にいる。この強みを最大化させようと気付いていける人が沖縄からどれだけ出てくるかだ」とビジネスへのまなざしを語る。

沖縄のローカルに根ざした商品を

―家業の歴史から社長に就くまでを聞きたい。

「復帰前に祖父の上間喜仁が沖縄市のゴヤ中央市場で始めた刺身屋が上間天ぷらのルーツです。天ぷらは切り身の魚を夜中に揚げて、朝、商店に配達しに行く卸販売から始まったそうです。私の父はうるま市兼箇段でキク農家をやっていましたが、私が高校生の頃に母が祖父の所で修行をして、のれん分けで『上間弁当天ぷら店』として沖縄市登川に開店したのが今の会社です」

「僕は東京の大学に進学したんですけど、店を継いでほしいという両親の望みもあって沖縄に帰ることにしました。その頃両親は1億円以上をかけて工場を建設しました。中に入って分かったのは典型的な中小企業のどんぶり勘定。売り上げも原価も数字が全くない。そこに大きな負債を抱え込み、現金が尽きて倒産する状態だった。銀行と交渉して借金の返済計画の見直しをお願いすることから始まりました」

―法人化して社長に就いたのがまだ24歳。経営をどう立て直したのか。

上間弁当てんぷら店の店内でスタッフに注文入力システムの操作を説明する上間喜壽さん(右)(上間フードアンドライフ提供)

「パソコンを買ってきて一から会計管理の仕組みを作り上げました。同時に売り上げを伸ばすためマーケティングを始めると、行事用の重箱や法事の折り詰めのニーズが割とあった。調べると当日注文したいとか、お墓や葬儀場まで持ってきてほしいとかのニーズがあって、ではデリバリーができると考えた。自分が配達員として始めたとたんに反響が大きくて、ここから売り上げが2倍、3倍と伸びていった。沖縄の伝統行事の領域に入っていったことが僕らの転機でした」

理念即した事業か徹底的に議論する

―高級志向の仕出し弁当の「仕出し上間」、ケータリングの「CATER4U」と新ブランドの展開を始めている。

「何でも広げればいいではなく、本当にわれわれの理念に即した事業なのかを徹底して議論しています。上間弁当天ぷら店の経営理念は『“食”を通して沖縄の文化を守り、伝え、発展させていく』です。スタッフ全員を対象にした毎月の社長研修では『皆さんは天ぷら屋さん、お弁当屋さんではないですよ』と繰り返し語っています。僕らは食を通した沖縄の文化創造企業なんです」

「それまで親の借金や自分の生活をどうするかが目標だったのが、必死に財務問題に取り組んできてある程度そこが解消すると、企業が目指すべき本当のゴールを定めずにこれ以上前に進むのは難しいというのを切実に感じたんです。代表に就いて3~4年目くらいに当時の役員と社員で半年ぐらい議論を繰り返し、これはやりたいとか、やっぱり社員は幸せにしたいとかだんだんと見えてきたのが今の企業理念です。経営の価値判断基準として実践的に理念を使っています」

―4月に沖縄ファミリーマートの一部店舗で商品の販売が始まった。

「これも理念である食を通した沖縄の文化の『発展』の部分です。本来であればコンビニは競合先として脅威です。でも観光客まで広く訴求できるコンビニと組むことで、沖縄そばやタコライスに続く県外でも認知された沖縄グルメのポジションに沖縄天ぷらを持って行きたい。自分たちの商品は沖縄のローカルに根ざした強みがある。祖父の時代に天ぷらをまちやぐゎーに卸販売していたのが、現代はコンビニとの取引になっている」

―これまで家庭で作ってきた重箱などの需要にも、沖縄の人の生活や意識の変化が見える。

「清明祭のある4月は8千台の重箱を作りました。毎年伸びていて、来年は1万台に届くのではないでしょうか。親族が一堂に会する場に欠かせない重箱料理を提供することが、食を通じて沖縄の文化を守り、伝えることにつながっている。何より私たち中食の会社というのは、仕事などで忙しい現代の沖縄の人たちに『時間』という価値を提供している」

環境は変化をしても違う形で文化現れる

―一方でライフスタイルの変化で簡便化が進むほどに、伝統的な文化自体が薄れていかないか。

「実は僕らも10年前から重箱は無くなるかもしれないと考えています。経営分析で外部環境の脅威として『沖縄の文化の変化』というのを常に置いてきた。実際に法事も初七日と四十九日を一気に行ってしまうとか、そうなってきているんです。これは弁当屋としては困ったことです」

「僕らは食を通した沖縄の文化創造企業なんです」と語る上間喜壽さん=5月21日、沖縄市の上間弁当天ぷら店登川店

「とはいえ、僕らが弁当屋でも天ぷら屋でもないと言うのはそこです。重箱が無くなったらどうするかと議論する時に、では沖縄の人が重箱を欲しがっている本質って一体何だろうと突き詰めていく。忙しい手間を省く時間だったり、先祖に対するリスペクトだったりとか一段抽象化された所に本質がある。だから環境は変化しても、人間がいる以上は本質の部分から必ずまた違う形で文化や生活が現れてくるはずです。企業は環境適応業ですから、そこにどう対応したサービスを提供していくかが経営者の腕の見せ所です。その本質の部分と、やはり現代はテクノロジーの変化が丸々本質に変化を与えてしまう時代なので、ITというのも外せないですね」

―30代の上間さんにとって「沖縄」とは。

「アメリカでもないし日本でもないし中国、台湾でもない。やっぱり独特でオリジナルな場所です。いろんな文化の侵略を受けてきて、ただそれを同時に飲み込んで絶妙のバランスで変化を受け入れてきた。僕は地元に生まれ地元に育ったローカルだけど、インターネットがあって場所や物理的な空間に縛られている世代でもない。外の情報を持ち込みつつもローカルで育った自分の意味って何だろうかと、企業の戦略と同じように、僕個人の戦略というのも模索し続けている。沖縄というマトリョーシカの中に僕らの法人が入っていて、その法人の中に僕が入っていてと、全部が入れ子構造になっているような感じです」

聞き手 経済部長・与那嶺松一郎

うえま・よしかず

 1985年1月21日生まれ、うるま市出身。法政大経営学部卒。「上間弁当天ぷら店」の2代目として、2009年に上間フードアンドライフの社長に就任。10年間で年間売り上げは就任当初の7倍となる約7億円に成長し、従業員数も80人まで拡大した。会計管理のシステムを自前で構築した経験を基に、経営支援クラウドサービス「mango」の販売などウェブサービス事業を手掛けるU&Iの社長も務める。

取材を終えて 社会変革への野心抱く

経済部長・与那嶺松一郎

 どんな質問にも立て板に水で論理立った答えを返してくれる。企業理念を聞いても歴史書や流体力学にまで話題は広がる。マーケティングからテクノロジーまで包含した独特の時代観や新しい感性に、時間がたつのも忘れて引き込まれた。

 2億円の債務を抱えた弁当店を立て直す逸話も、お涙ちょうだいの苦労話をすることに興味はなさげだ。販売と会計管理をクラウド化して経営判断のスピードをどこまで上げてきたかに胸を張るなど、実に今どきでスマートだ。

 注目の2代目とはいえ、たまたま経営を継ぐ家業があったということにすぎないのだろう。上間さんの本質とは、イノベーションによって社会に変革を起こそうという野心を抱いた起業家精神なのだ。

(琉球新報 2019年6月3日掲載)