沖縄戦に県立第一中学校の学徒として動員され、捕虜となりハワイに送られた神谷依信(かみや・よりのぶ)さんが20日午後1時57分、那覇市内の病院で亡くなった。90歳。南城市玉城仲村渠出身。告別式は23日午後2時から豊見城市豊崎1の200、サンレー豊崎紫雲閣で行われる。
語り部として沖縄戦の悲惨な体験を後世に継いできた。23日の慰霊の日に、戦争で亡くなった仲間の名が刻まれた一中健児之塔に献本しようと、仲村渠地域に伝わる歴史や民話を一冊の本にまとめている最中だった。
神谷さんは、県立一中3年の時に県庁連絡員となり、その後、鉄血勤皇隊として戦場へ動員された。1945年6月、糸満市真壁で捕虜となり、ハワイの収容所に送られた。生前、神谷さんは琉球新報の取材に「戦争は絶対に起こしてはいけないという思いが年々強くなっている。子や孫に同じ苦しみを味わわせたくない」と語っていた。
県立一中、首里高校の卒業生でつくる養秀同窓会によると、神谷さんは養秀会館内に沖縄戦の資料室ができた2005年から語り部を務めた。資料室開設前も資料集めの中心的な役割をしていたという。非戦への強い思いから、自身の戦争体験を後世へ受け継ぐ活動を続けてきた。
今年4月に肝臓がんが発覚した。病院でも本の発刊に向けて、書き留めてきたメモを清書し、慰霊の日に間に合うよう作業を進めていた。編集に携わっている神谷さんの弟・幸喜稔さん(77)によると、亡くなる数日前まで本について構想を語っていた。幸喜さんは「(神谷さんは)生きているうちに本の制作をやり遂げたいとの思いが強かった。遺志を継いで完成させたいと思っている」と語った。
神谷さんが執筆している本の題は「心に浮かぶ情景 仲村渠に残る情景と伝承の世界」。悲惨な戦禍をくぐり抜け、亡くなる直前は幼い頃に過ごした古里の景色に思いをはせていた。