prime

糸満の行商から公設市場に 伝統ミキの復活を目指す「みき屋」新市場へ「ウチナーンチュに愛される市場と共に」〈まちぐゎーあちねー物語 変わる公設市場〉15 跡継ぎの挑戦(7)金城泰正さん、大城伸也さん


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
「みき屋」の金城泰正代表(左)と大城伸也さん=15日、那覇市の第一牧志公設市場

 16日に現施設での営業を終えた第一牧志公設市場。その真っ正面にある外小間(外側の店舗)が海ブドウを販売する「みき屋」だ。名前の通り、当初は飲料の「みき」を製造販売する専門店だった。原料不足などにより現在はみきを販売していないが、3代目の金城泰正代表(66)は将来の復活を目指している。

 泰正さんの祖母ジラさんは1948年に現糸満市でみきの行商を始めた。糸満ではハーレーの時にみきを神に供えるため、なじみのある飲み物だった。1杯5セントでマカイ(おわん)に入れて売っていた。

 50年に現市場と同じ場所にバラック造りの公設市場ができた後、ジラさんの息子泰次郎さんと妻カメさんが市場に移り、みきの量り売りを始めた。泰正さんは「みきは体に良いというイメージでけっこう売れたよ」と振り返る。ウイスキーの空き瓶に入れて買っていく人もいた。

かつて販売していた「みき」と金城泰正さん(右)=2003年、みき屋の市場内側の店舗

 泰正さんは高校卒業後、本格的に店を手伝った。だが3年後に泰次郎さんが、その3年後にカメさんが亡くなった。「両親は仕事一筋で市場と家の往復だった。親孝行できなかったのは残念」と悔やむ。

 祖母、そして両親から受け継いだ手作りのみきは「おいしい」と評判だったが、1日300本の製造が限界で貯蓄は難しかった。約25年前に海ブドウに着目し、その販売がメインになっていった。金武町や久米島などから仕入れる。県内外の飲食店などに卸すほか、自社店舗でも販売している。

 2015年からは娘婿の大城伸也さん(37)が跡継ぎとして経営に加わった。大城さんはそれまでスポーツジムでトレーナーを務め、運営にも関わっていた。「畑違いだけど、接客業であることや運営の感覚は変わらない」と違和感なく入れたという。

 みき屋のみきは米、麦芽、砂糖で作る。中でも「麦芽が命」と泰正さんは強調する。だが次第に麦芽が手に入らなくなり、4年ほど前にみきの製造販売をやめた。「親がやっていた商品をなくすのはしのびない。屋号にもなっているので作りたい気持ちはある」と泰正さん。大城さんもみきを復活させたいと考える。

 みき屋も7月1日から仮設市場で営業を始める。泰正さんは「3年後に新しい市場に戻ってから(経営を)バトンタッチしたい」と語り、もう一踏ん張りするつもりだ。大城さんは「地域密着をモットーに、ウチナーンチュに愛される店と市場でありたい」と話した。

(おわり)

(伊佐尚記)

(2019年6月18日 琉球新報掲載)