父はハンセン病だった―。宮古島市出身の60代女性は18年前、ハンセン病元患者らが訴えた裁判のニュースを見て父の病をはっきりと認識し、幼い頃に受けた差別の理由が分かった。父は親族から忌み嫌われ、姉たちも近所からいじめを受けた。父は酒を飲むと暴れもした。「家族ばらばらで一家だんらんなんてなかった」。その原因に国の強制隔離政策があったことに気づき、悔しさをにじませた。
母によると、父は1939年に日本軍に入隊し満州でハンセン病を発症。兵役免除を受け、宮古島に帰った。療養所への入所をかたくなに拒否し、非入所者として生活を続け、治療も受けていなかったという。
ハンセン病は末梢(まっしょう)神経などに障害を及ぼす。父は後遺症で手や手首が変形し、足は血うみができ症状に苦しみ始めた。
当時、小学生だった女性は父が四つんばいで歩いた後に残った血を拭き取るのが日課になった。5年生になった頃、父の症状はさらに悪化。農業を続けられなくなり家にこもるようになった。父は長男だったが、親戚はほとんど誰も家に来ず、父も人と会うことを嫌った。怒りっぽくなり酒を飲むと母や姉たちに暴力を振るうなど、いら立ちを家族にぶつけた。
当時は何の病気か知らず父の世話を強いられ、外では近所の人たちから、宮古の言葉で「クンキャ(ハンセン病)だから遊ばない」と言われ嫌われた。
7歳上の姉もいじめを受けていた。教室で後ろに座る同級生から「クンキャ」と言われ安全ピンで首を何回も突かれた。首の後ろは血がにじんだ。姉は母と抱き合って泣いた。
姉は20歳で結婚し実家を離れ、女性も22歳で東京に引っ越した。後遺症に苦しむ父や偏見のある環境から「逃げ出したかった」と、当時を振り返った。
病を隠し続けた父。家族に向けられる差別や偏見が病にあることを秘密にした母。女性は何も知らず家庭内で荒れていく父を疎ましく思い、結婚後も距離を置いた。結婚式に父を呼べず、夫にも父のことを話さなかった。父は約30年前に、母も3年前に亡くなった。
「父は非入所者だったが、政策で根付いた偏見差別の被害は同じだった。隠れて生活し治療も受けられず、惨めな人生を歩んだなと思う。偏見差別さえなければ、私たちももっと違う生き方ができたのではないか」。亡き両親を思い、国が家族への責任を認めてくれることを求めた。
(謝花史哲)
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ハンセン病家族訴訟の判決が28日に熊本地裁で言い渡される。ハンセン病に対する誤った認識により元患者の家族も偏見差別を受けてきた。原告561人のうち県内在住者が約4割と最も多い。判決を前に県内原告の被害の実態に迫った。