事故現場はどうだったのか 35人の参加者が歩いた 沖縄・宮森小米軍機墜落事故


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宮森小学校ジェット機墜落事故の現場をたどる参加者ら=30日、うるま市の同小付近

 【うるま】沖縄県うるま市(旧石川市)の宮森小学校米軍ジェット機墜落事故の現場を歩く「沖縄戦を知るピースウオーキング~石川で見る沖縄戦後史」(同実行委員会)が30日、うるま市であった。梅雨が明けて晴れ渡った空の下、約35人の参加者らは、戦後最大の米軍機墜落事故といわれる現場をたどり、いまだに続く基地被害を考えた。実行委員会の垣花豊順さんらが案内人を務め、宮森小の裏門を通り、事故の被害に遭った民家の場所や戦後初の住民による行政組織「諮詢会」跡地を巡った。

 案内人らは、事故後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症した児童や事故の傷を隠すため帽子をかぶり続けた男性など、子どもたちの心に大きな傷痕を残した話も紹介した。

 ウオーキングに参加した南風原町立北丘小学校6年の岩野百伽さん(11)は「授業で宮森小の話を聞いた時はショックだった。米軍が起こす事故は今でもある。少しでも基地が減ってほしい」と願った。