先島土器、日中から影響か 琉大チームが石垣竿根田原の破片分析 「台湾由来」定説に一石 


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白保竿根田原洞穴遺跡から出土した1万年前の土器片(県立埋蔵文化財センター所蔵)

 台湾から伝わったとされてきた沖縄の土器利用文化に関する定説が覆るか―。琉球大学戦略的研究プロジェクトセンターの山極海嗣助教らの研究チームは1日、南琉球(宮古・八重山諸島)の土器利用文化が日本列島や中国大陸などの地域から影響を受けた可能性があるとする研究成果を発表した。これまで分析方法がなく謎だった南琉球最古の1万年前の土器を独自手法で分析し、新たな仮説を立てた。南琉球の文化が逆に台湾に影響を与えていた可能性も指摘し、台湾から沖縄への〝一方通行〟だったという従来の考え方に一石を投じた格好だ。

 山極氏らは、土器を破壊せず、蛍光X線を用いて土の材質や含まれている鉱石の割合を調べる理化学的な分析手法を開発した。この手法を使うことで、石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から数年前に出土した貴重な1万年前の土器片を調べることができた。
 
 1万年前の土器と、下田原期(4800~3600年前)の古い年代の土器、下田原期の新しい年代の土器の3種を比較したところ、1万年前の土器は下田原期の古い年代と似ていることが判明した。同一の文化とみられていた下田原期も、前半と後半で違う文化だったことも分かった。

 1万年前と下田原期の古い年代の土器が似ていることは、同じ文化が継承されていた可能性と、時代を隔てて偶然に作り方が似た可能性を示唆する。
 
 台湾やフィリピンなどの南方地域では1万年前の段階では土器の利用が確認されていない。研究チームは北琉球(沖縄本島・奄美)以北の日本列島や中国大陸から土器利用文化が伝わり、一度途絶えた後に台湾の文化が伝わったという仮説と、1万年前から続いていた文化に台湾の文化が接触したという仮説を提示した。
 
 今回は石垣島で見つかった3種類の土器を比較したが、研究チームは今後、広い地域の土器の比較研究を進める予定だ。
  (稲福政俊)