息子の病、転機に 沖縄の政治に革命を 安里繁信氏【2019参院選・駆ける㊤】


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支持者の声援に応えながら、遊説先へ駆け付ける安里繁信さん=西原町

 「政治家になりたいのではなく、沖縄を変えるためにどうするかを考えたら政治だった。政治は目的ではなく、手段だ」。7月2日、糸満市で開かれたイベントで安里繁信氏は若者を前に強調した。経済界から政治の世界へ挑むが、求めるのは「変わらず平和で豊かな沖縄」の実現だ。

 歩んできた道は決して平たんではない。高校卒業後に上京し、専門学校の学費を稼ぐためバイトに汗を流した。沖縄に戻り父・信秀さんの経営する安信輸送サービス(現あんしん)に入り「電球の数なら沖縄一」というデコレーショントラックで走り回った。青年会議所に入ってからは、サラブレッドのような周囲に負けじと経営者としての道をがむしゃらに走り続けた。

 転機は突然訪れた。18年前、男手一つで育てていた2歳半の長男に、脳腫瘍が見つかった。難手術だったことに加え、当時はこども医療センターが開設される前で小児手術の執刀医を捜し回った。手を差し伸べたのは、日本青年会議所(JC)会頭経験者で参院議員になったばかりの知人だった。地域に左右されないユニバーサルサービスの必要性を痛感し、政治を志すきっかけとなった。

 県出身者として初めてJCの会頭に就任。2009年の全国会員大会沖縄那覇大会では、有力OBの介入を断ち組織運営の主体性を現役に取り戻すことを意図し「しがらみからの脱却」を宣言した。歴代会頭の一部がセレモニーでの登壇を拒み、波紋も広げたが、異例の発言で大きな拍手を受けた。前例にとらわれない発想と行動力で周囲を驚かせてきた。

 周囲からも政界へ推す声があった。18年知事選で、長年交流のあった翁長雄志前知事と向き合いたいと出馬を表明したが、翁長さんが亡くなったため最終的に身を引いた。「(自民党本部に対し)一本化の条件として安倍晋三総理に翁長さんに焼香してくれないかとお願いしたが、かなわなかった。残念だった」と振り返る。

 信秀さんが伊良部島、母タマ子さんは石垣島、母方の祖母は伊是名島出身という家庭で育った。若者が定住し活気ある沖縄の島々にすることに情熱を燃やす。沖縄の全有人島を繰り返し訪ね歩き、各地の課題を丹念に聞いた。

 連日駆け回る過密日程も、持ち前のバイタリティーで乗り越える。討論会にも常に原稿なしで挑み、自分の言葉で答えるスタイルを貫く。公示日の4日、那覇市牧志の選対事務所前で集まった支持者に宣言した。「誰が出ても勝てる選挙ならば私が出る意味はない。厳しいからこそ意味がある。ここから沖縄の政治に革命を起こす」。決意の言葉は自然と熱を帯びた。

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 21日に投開票される参院選沖縄選挙区の主要候補である、安里繁信氏と高良鉄美氏の人柄や選挙運動の様子を担当記者が描いた。(’19参院選取材班)