【八重瀬】沖縄戦で消失し、1969年に故山田真山さん(画家・彫刻家)によって再制作された八重瀬町友寄の2代目神獅子50周年記念式典が14日、友寄公民館で開かれた。区民や関係者ら約70人が集まり、50年受け継いできた神獅子の勇壮な獅子舞に、大きな指笛と「シタイヒャー」の声が上がった。
初代神獅子は1828年、王府お抱えの彫刻師・田名宗経が制作した。友寄出身で三線の地謡として首里城に仕えた玉那覇親雲上の功績に対する御拝領(ぐへーろー)として、尚育王から授けられた。伝染病で多くの死者が出ていた友寄の住民は、神獅子を村の守護神として迎えた。
獅子の頭は沖縄戦の地上戦が始まる前、箱に入れて避難壕に隠された。しかし1945年8月、捕虜として玉城村船越(現・南城市)にいた金城明さん(84)が父親と一緒に芋を調達するため友寄を訪れた際に箱を確認すると、中身が空になっていた。
神獅子を消失し、獅子舞も行えなくなったが、68年に復活委員会が発足。糸満市摩文仁の平和祈念像を制作中だった山田さんによって翌年、2代目神獅子が誕生した。
14日の式典には山田さんの娘や孫も参加した。次女の山田多津子さん(78)は「守り神として長く大事にされ、父も喜んでいるはずだ」と笑顔を見せた。式典で獅子舞を踊った大城佑介さん(30)は「地域の先輩たちが守ってきた獅子で踊れることがうれしい」と話した。2代目神獅子誕生後、最初の十五夜で獅子舞を踊った金城勝さん(82)は「デイゴの木で作られた獅子の頭の重さを今も覚えている。今でも多くの若者が踊っていてうれしい」と涙目で語った。