「憲法よりも日米安保条約が上にあるべきではない」。1日に本紙が開いた参院選立候補予定者座談会で高良鉄美氏(65)は拳を握りしめて訴えた。憲法の専門家として35年間、教壇に立ち研究を重ねてきた。平和とは何か。高良氏の胸中には沖縄戦以降、相次いできた米軍絡みの事件事故など強いられてきた県民の苦難がある。高良氏は県民の4人に1人が亡くなったとされる悲惨な沖縄戦を原点に沖縄の苦難を捉え県内各地で「平和」を訴えている。
沖縄が日本復帰を迎えた1972年、那覇高校を卒業した。その後、九州大学に進み、84年に同大大学院を修了。その後に地元の琉球大に採用された。教べんを執る中、憲法と政治の問題を肌身を持って体感する機会があった。
94年秋、教え子たちを連れて県議会を訪れた。傍聴規則に「帽子、襟巻き、コート」を禁ずる規定がある中、あえて帽子を着用した。傍聴席への入場を認めない職員と押し問答を繰り返したが結局、傍聴することはかなわなかった。「主権者である県民がなぜ、帽子をかぶると政治の舞台を見ることができないのか」。疑問と葛藤が胸の中で渦巻いた。
以来、日常生活で帽子をかぶることを決めた。調べると、帽子着用を禁ずる規定は大日本帝国議会時代に起因することが分かった。貴族院傍聴規則には「帽子又は外套(がいとう)を著すべからず」と定められ、それが県議会にも踏襲されていた。20年以上、帽子姿を通して問うてきたのは国民の「知る権利」の重要性だ。
第2次大戦中、沖縄戦を含め多くの国民の犠牲を避ける機会は、トルーマン米大統領による日本への降伏呼び掛けなど、度々あったと指摘する。なぜ沖縄戦を防げなかったか。「当事者である国民が何も知らされていなかったからだ」と考え、教え子たちには政治参加の重要性を説明してきた。
選挙への出馬表明後は帽子を外すことを決めた。国会議員を目指す以上、自身が権力側の立場となることを自覚したからだ。選挙運動中に立ち寄った牧志公設市場では、お年寄りの目線に合わせて腰を下ろし、日々の生活の様子を熱心に聞き入った。大学の講義とは語り口を変え、分かりやすい言葉や表現を選ぶよう心掛けてもいる。
最も強く訴えるのは県民の民意とは反対に進む名護市辺野古への新基地建設だ。これまでの国政選挙や県民投票などで県民は辺野古反対の民意を示し続けてきたことに触れ「沖縄の不条理を、理不尽を変えたい。子や孫の世代に辺野古の問題を引き継いではいけない」。高良氏は憲法の理念実現とともに胸に強く誓っている。
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21日に投開票される参院選沖縄選挙区の主要候補である、安里繁信氏と高良鉄美氏の人柄や選挙運動の様子を担当記者が描いた。(’19参院選取材班)