「はいたいコラム」 梅干しの力を伝えたい


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 島んちゅのみなさん、はいたい~! 和歌山県みなべ町は梅生産日本一を誇る町で、「みなべ田辺の梅システム」として、国連の食糧農業機関(FAO)により世界農業遺産に認定されています。

 紀伊半島南西の山間にあるこの地は、土壌の養分が乏しく農耕には適さないため、山の上は薪炭林というウバメガシの森林にして備長炭を作り、ニホンミツバチの生息環境を保ち、中腹は梅林にして梅干し生産をする複合的な農林業で、紀州のトップブランドを築いてきました。やせた傾斜地を豊かな宝の山に変えたのは、400年にわたりこの地を耕し続けてきた人々の知恵と技術です。

 FAOが未来に残すべき農業遺産だと評価した梅システムは、梅生産を軸に人々の暮らし、食、エネルギーに至るまで、むらの命を支えてきたのです。

 みなべ町で梅農園を営む寺垣みち子(通称うめこ)さんは、梅農家に生まれましたが、とにかく梅干しが嫌いで、梅農家にはならないと決めていました。しかし、祖父が亡くなる前、南方で戦死した弟の遺骨を探してほしいと言い遺(のこ)したことから、パプアニューギニアまで旅に出ることになりました。

 そこで、同じく慰霊に来た日本人遺族の中に、梅干しを携えている人がいました。戦場において梅干しは、唾液が出て喉を潤すことやクエン酸による疲労回復、酸っぱさで気力を奮い立たせ、あと数歩、あと数歩と進軍できたといういわれがあるそうです。そこで最後にもう一粒梅干しを食べて一緒に日本へ帰ろうという思いから、梅干しを持って彼の地を訪れる人たちに出会ったのです。そんなに生きる力を持った日本人の魂のような食べ物だったのか。うめこさんの梅干しに対する考えは変わりました。

 後を継いでいた弟さん家族とともに、うめこさんも梅の仕事を始めました。また、パプアニューギニアで、葉っぱを身にまとった現地の男性がタブレット端末を操って飛行機の運航状況を調べてくれたのを見て、山の中でこそインターネットが役立つと知り、今ではホームページを作って無農薬の南高梅「てらがき農園」としてインターネット販売をしています。

 ご縁というのでしょうか。思えばこの辺りは熊野へ続く聖なる地です。梅の神様のお導きかどうかはわかりませんが、今うめこさんは梅の魅力を広めようと家族で梅干しづくりに励んでいます。

(フリーアナウンサー・農業ジャーナリスト)

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小谷あゆみ(こたに・あゆみ) 農業ジャーナリスト、フリーアナウンサー。兵庫県生まれ・高知県育ち。NHK介護百人一首司会。介護・福祉、食・農業をテーマに講演などで活躍。野菜を作るベジアナとして農の多様性を提唱、全国の農村を回る。

(第1、3日曜掲載)