今日は参院選の投票日だ。われわれ有権者は、どんな結果を導き出すのだろうか。われら民主主義の主役たちにとって、最も重要な大舞台が選挙日だ。人間の英知と品格が問われる。そのような大ドラマでいつも主役を張れる。民主主義国の一員であることは、何とも、役者冥利(みょうり)に尽きる。
民主主義については、多くの歴史上のセレブたちが、多くの名言を残している。その中に、筆者が全面的に反対な名言が二つある。その一が次の通りだ。「民主主義とは、無能な多数による選挙をもって、腐敗した少数による任命に代えるやり方だ」
アイルランドが世界に誇る劇作家、バーナード・ショーがその作品「人間と超人」の中に書き込んだものだ。お芝居の台詞(せりふ)だから、ショー自身がこう考えていたとは限らない。多分、そうではないだろう。いずれにせよ、この言い方には強い異論がある。民主主義をこの台詞が当てはまるようなものにしてはいけない。
この台詞を、次のように書き換えることを提案したい。「民主主義とは、有能な多数による選挙をもって、腐敗した少数のやりたい放題にとどめを刺すやり方だ」
筆者が異を唱える名言その二は、イギリス政治の大御所様、ウィンストン・チャーチル卿のものである。大御所様いわく、「民主主義があらゆる意味で完璧だなどと、そんな振りをする者は誰もいない。それどころか、民主主義は折々に試されて来た他のさまざまな統治形態を除けば、最悪のやり方だという言い方がある」。
実にこの人らしい。嫌味(いやみ)とお笑いに満ちていて、これはこれで面白くはある。だが、いささか諧謔(かいぎゃく)へのこだわりが先行して、技に溺れた感がある。
民主主義はパーフェクトじゃない。だが、他のやり方に比べれば圧倒的にマシだ。要はこう言いたいわけだが、少々凝り過ぎだ。
さらに言えば、民主主義はパーフェクトじゃない、という考え方に、筆者はそもそも同意しない。民主主義はパーフェクトだ。そう言い切っていいと思う。そして、パーフェクトな民主主義をわれわれが履行する。それでいい。そうでなければいけない。今日がその日だ。
(浜矩子、同志社大大学院教授)
(2019年7月21日 琉球新報掲載)