児童ら対馬丸学ぶ 奄美大島との交流の事前研修 30人参加


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「対馬丸の子どもたちのことを思うと悲しく、戦争は絶対に許されない」と児童らに語った平良啓子さん=21日、那覇市若狭の対馬丸記念館

 第2次世界大戦中に疎開児童を含む1400人以上が犠牲になった「対馬丸」が撃沈された事件について学ぼうと、沖縄県は21日、那覇市若狭の対馬丸記念館で平和学習交流事業の事前研修を開いた。小学5年~中学2年とその保護者の計30人が参加した。対馬丸生存者の平良啓子さん(84)は、1週間ほど漂流して鹿児島県奄美大島の人たちに助けられた体験を語り「皆さんも平和をどうつくるか一生懸命勉強し、奄美の人たちと仲良く交流してほしい」と語った。

 対馬丸は、1944年8月22日、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて撃沈された。遭難した人の多くが奄美大島の宇検村に流れ着き、村民に救出されたほか、多くの遺体が流れ着いた。沖縄県は昨年から宇検村を訪れて対馬丸の歴史を学ぶ事業を実施しており、ことしも8月23~25日に児童らが現地を訪れる。

 平良さんは9歳の時に家族6人で対馬丸に乗船。祖母と兄、いとこが命を落とした。漂流の間、多くの遺体が目の前を流れていったという。「私も死ぬのかなと思ったが、母に会うまではどうしても生きたいという気持ちだった」と振り返った。

 無人島の枝手久島に流れ着き、宇検村の人に救出された。その後、約半年過ごした瀬戸内町古仁屋でも親切にしてもらったといい「奄美の人たちのおかげで今生きている。なんとお礼していいのか分からないぐらいだ」と述べた。

 参加した天久小5年の小橋川侑生さん(10)は「宇検村では、亡くなった人たちにお祈りをしたい」と話した。