沖縄・本部町健堅の沖縄戦の遺骨、日韓で共同収集へ 「故郷に帰す会」発足


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本部町健堅の遺骨を遺族に返すため、発足した「本部町健堅の遺骨を故郷に帰す会」の発足式で遺骨収集の現状などについて語る具志堅隆松さんら=27日、宜野湾市

 本部町健堅に沖縄戦で動員された朝鮮人を含む14人が埋葬された件で、遺骨を収容し遺族に返すことを目的とした「本部町健堅の遺骨を故郷に帰す会」が27日、発足した。14人が亡くなって75年の節目となる来年2月にも、日本と韓国の市民らが共同で遺骨収集を進めることを検討しており、遺骨収集を通して両国の平和や友好の懸け橋としたい考えだ。両国の学生らも遺骨収集に加わってもらう考えで、早ければ今年秋ごろにも試掘調査を進める。

 本部町健堅の遺骨を巡っては、1945年5月28日号の米誌「ライフ」に瀬底島を背景に14本の墓標が立つ写真が掲載された。墓標の14人の名前のうち、12人は45年1月22日に本部町沿岸で攻撃を受けて撃沈した「彦山丸」の乗組員だったことが明らかとなった。

 琉球新報は2017年6月、埋葬地の周辺住民などへの取材から遺骨が埋まったままになっている可能性があると報道。報道を受け、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」や韓国の市民団体などが現場を視察し、遺骨収集に取り組む考えで一致していた。

 その後の調査で、墓標に記された名前のうち、日本人、朝鮮人の複数の遺族と連絡が取れているという。

 発足記念講演会は27日、宜野湾市内で開かれた。会の共同代表に「ガマフヤー」の具志堅隆松さん、住職の岡田弘隆さん、NPO法人沖縄恨之碑の会の沖本富貴子さんが就いた。

 具志堅さんは「(朝鮮人も)戦争で殺されたことに変わりはない。その人たちを区別することなく救済の手を差し伸べることは当たり前のことだ。若い人たちにも戦争で殺されたことを直視してもらいたい」と語り、日韓の若者が手を取り合って遺骨収集に加わってもらうことに期待した。

 戦時中に北海道の朱鞠内地域で亡くなった朝鮮人の遺骨を遺族に返す活動の中心となった殿平善彦さんは「朝鮮半島の遺族にとって戦争と植民地支配は未解決のまま今日まできていることは間違いない」と指摘。「戦没者遺骨を家族の元へ」連絡会の上田慶司さんは政府との交渉経過を語った。