インパール平和資料館の完成に沖縄の男性が尽力していた 戦争賛美から住民目線の展示に


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展示について意見を交わす大城和喜さん(左・笹川平和財団提供)

 【南風原】第2次世界大戦中の旧日本軍による「インパール作戦」の現場となったインド北東部マニプール州インパール近郊に、6月22日、「インパール平和資料館」が完成した。10人で構成する設立委員には、南風原文化センターの設立に尽力し、同センターの館長を務めた経験がある大城和喜さん(70)=南風原町=が日本から唯一参加した。大城さんは現地の設立委員に沖縄の資料館が培ってきた住民の目線に立った展示のノウハウや歴史事実の展示方法などを伝えた。

 大城さんによると、最初に現地の設立委員が作り上げた資料館の展示の構想は「『軍事ミュージアム』のような、戦争を賛美しかねない展示になっていた」という。設立に協力した日本財団や笹川平和財団などが予定していた平和資料館の内容にそぐわない構想になっていたことから、平和資料館として再出発を図るため大城さんが設立委員に加わった。

 大城さんは今年1月から毎月1回インパールに足を運び、当時14~15歳だった11人の体験者の話を聞き取った。

 大城さんによると、体験者は「日本兵と友好的関係を築いていた」と語る人もいれば、「日本軍の度重なる食料や家畜の要求に耐えかねて連合軍側について日本軍と戦った村もあった」と証言した人もいたという。大城さんは村人の証言を生かすため、沖縄の資料館と同じように「住民の証言を基に、住民の視点で戦争の展示をしよう」(大城さん)と内容を再構成した。

完成したインパール平和資料館の外観(笹川平和財団提供)

 資料館の展示は「戦争」だけにとどまらない。「戦後」「生活・文化」にも焦点を当てて紹介している。「戦争」はインパール作戦での住民の被害や犠牲の実態、「戦後」はマニプール州やインパールの戦後の歩みを年表などで紹介した。

 「生活・文化」は、マニプール州やその周辺で多数派を占めるメイテイ族の暮らしを中心に紹介し、マニプール州やインパールの人々の歴史や文化を学べるように工夫した。

 現地の関係者によるとインパール平和資料館と、その近くにある激戦地跡のレッドヒル、平和記念碑、慰霊の碑を結んで「平和学習コース」にする構想もあるという。大城さんは「資料館が『平和学習の拠点』として、またマニプールの『歴史と文化を学ぶ場』『インパールと他の地域、世界をつなげる発信の場』として大きく成長してほしい」と期待を込めた。