翁長雄志前知事死去から1年 支援者たちの思いは… 金秀グループの呉屋守将会長、元沖縄県副知事の安慶田光男氏


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 沖縄県の翁長雄志前知事が膵臓がんで死去して、8日で1年となった。那覇市内にある自宅では、一周忌法要が行われ、玉城デニー知事をはじめ県幹部や生前に親交があった関係者が弔問した。知事在任中に翁長氏を支えた金秀グループの呉屋守将会長と元沖縄県副知事の安慶田光男氏にいまの思いを聞いた。

呉屋守将氏 金秀グループ会長「沖縄の夜明け示した」

翁長雄志前知事への思いについて語る金秀グループ会長の呉屋守将氏=1日、那覇市の金秀本社

―翁長氏を知事、政治家としてどう評価するか。

 「(県内政界の)ターニングポイントとなった知事だ。これまでの知事はややもすると本土政府に右顧左眄(うこさべん)し、うわべを追い求めてきたきらいがあった。翁長氏は本当に大事なのはウチナーンチュの誇りと言い、これをもっと大事にしようと辺野古問題を通して我々に教えてくれた」

 「僕ら世代は沖縄の言葉に劣等感があったが、翁長氏は公の場で『うしぇーてーならんどー、まきてならんどー』と使った。画期的で僕らも目覚めた。身をていして沖縄の新たな夜明けを県民に見せてくれた。地方が主役の時代とも相まり沖縄はこれから変わってくると思う」

―なぜ翁長氏を知事選で支援したのか。

 「稲嶺恵一元知事の選対本部長だった私の父から事務総長の翁長氏のことを聞いていた。2013年、『津梁(しんりょう)会』を作り酒を飲んで政治経済の話をするようになった。一県民として仲井真弘多元知事の(辺野古埋め立てを承認した)行為はおかしいと思っていた。翁長氏は稲嶺県政の時からの問題意識で立ち上がってくれたと思う。それならもう一踏ん張りしようと。それがウチナーンチュとしての責任の取り方だと思った」

―翁長氏が亡くなって1年になるが今はどんな心境か。

 「失って存在感の大きさを感じるし後悔もある。昨年の名護市長選の後、オール沖縄共同代表を辞任するとメールしたら『待ってくれ』と会いに来た。このような負け方で陣営は誰も総括しないし責任も取ろうとしない。ずるずるいくから責任を取ると言ったら(翁長氏は)寂しそうな顔をしていた。本当に申し訳ない思い。あの時、そんな乱暴なことしないで寄り添ってあげられれば良かった」

 「翁長氏から昨年春ごろ、知事選を見据えて後援会長の打診があったが、弟が那覇市長の後援会長をしている関係で断った。それが短命につながったのではないかとの思いがある」

―翁長氏から玉城デニー氏と共に後継指名を受けた。

 「私への謝意と『デニーが本命で呉屋さんサポーターに回ってくれよ』と受け止めた。だからデニーに電話してあなたが本命だよ、僕は君のバックアップに回るから頑張ってくれないか、と伝えた。翁長氏へのせめてもの償いと翁長氏の思いを継続する、実現することになると考えて後援会長をすぐ引き受けた。翁長氏の思いをしっかり伝え、守り育てていきたい」

 (聞き手 中村万里子)


安慶田光男氏 元副知事『「オール沖縄」を継承』

「翁長前知事の辺野古埋め立て反対、オール沖縄の精神は継承されていく」と語る安慶田光男元副知事=7日、那覇市

―翁長氏はオール沖縄の礎をつくった。

 「2007年の教科書検定問題で県民大会の実行委員会に加わったのが翁長さんだ。魂魄の塔への思い入れが強く、沖縄戦や戦後の基地問題で沖縄は差別されてきたという思いがあった。そうした人となりが保革双方を引き付けた」

 「私が那覇市議会議長をしていたころ、那覇市長の翁長さんに革新が知事候補として白羽の矢を立てた。一時は仲井真弘多元知事の後継として目されていたが、仲井真氏の辺野古埋め立て承認後、本人は『(後継は)あり得ない』と話していた。『こそくな駆け引きをして知事になるのが目的ではない』と。ただ革新側と違って日米安保や辺野古移設を除くSACO(日米特別行動委員会)合意は認める立場だ。自分の主張ばかりではなく、相手の言い分も聞いて腹六分でまとまったのがオール沖縄だ」

―副知事時代に菅義偉官房長官と非公式に面談していた。

 「知事に全て報告していた。私は菅さんと同じ昭和23年生まれですぐに打ち解けた。翁長さんは私を通じて辺野古や沖縄振興についての官邸の考え方などの情報を収集した。『アメリカは辺野古移設は日本の国内問題だと言っている。日本政府が勝手に埋め立てたいだけではないか』と官房長官に問いただしたことがある。だが結局は米政府も計画変更を望んでいないとして埋め立て工事が進められた」

―辺野古の埋め立て阻止はどう議論したのか。

 「16年12月に最高裁で敗訴した後、『最高裁で負けたということは、行政として(辺野古埋め立て阻止)の限界が来るかもしれない。新たな闘争の在り方を考えなければならない』と提言した。知事は『行政としては厳しくても政治闘争は最後までやろう』と言った。その言葉通り、翁長さんは最後まで闘った」

―翁長氏が残したものは。

 「自民党の政治家が政府のやり方に反旗を翻したことに事の重大性がある。時がたち、いずれ忘れ去られても『辺野古埋め立て反対』と『オール沖縄』の精神は継承されていく」

―玉城県政をどう評価するか。

 「『対話路線』は素晴らしいが、疑問もある。代案なく自分の主張だけをぶつけるのは対話ではない。辺野古の埋め立て工事が進んでいる。新たな裁判もあるが、最高裁判決の後はどうするのか。沖縄の未来のため、新たな戦略が必要だ」

 (聞き手・松堂秀樹)