[日曜の風] 実は「しょば代経済」 プラットフォーム


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 プラットフォームという言葉がはやる。プラットフォーマーとか、プラットフォーム事業とか、プラットフォーム・エコノミーなどという言い方が、しばしばメディア上に登場する。

 筆者は、プラットフォーム・エコノミーをこれまで屋台経済と日本語化してきた。プラットフォームは、要するに「棚」である。陳列台だ。さまざまな事業者が、プラットフォーマーたちが用意する棚の上に自分たちの商品を陳列する。お客さんは、ネット上に用意されたそれらの屋台から品々を選んで買って行く。世はまさに屋台経済真っ盛り。

 だが、ここに来て、この屋台経済という呼び名に少々疑問を抱くようになっている。現象的には、確かに屋台経済化という表現が悪くない。我ながら、結構、気に入ってもいる。ただ、思えば、この言い方は現象を言い表してそれなりに妙ではあっても、事の本質をとらえているとは、どうも言い難い。

 屋台経済の本質は、実はしょば代経済だ。今、そう思うにいたっている。さまざまな事業者に商品陳列用の屋台を提供しているプラットフォーマーたちは、いずれも超大手IT事業者だ。彼らをひとくくりにしてGAFA(ガーファ)と呼ぶようになっている。Google、Amazon、Facebook、Appleの頭文字を連ねた名称だ。彼らの屋台上に商品を陳列するには、事業者たちはGAFAが設定するさまざまな条件を受け入れなければならない。さすがに法外なみかじめ料を問答無用で巻き上げるところまでは行っていないようだが、それでも、明らかに力関係的にはGAFA側が圧倒的に優位に立っている。優越的地位を思うままに利用して、自分たちの屋台上に小さき者たちを縛り付けている。

 しょば代経済化の中で進行しているもう一つの○○経済化が、出前経済化である。世間的には、これをオンデマンド・エコノミー化と言っている。欲しいものやサービスを欲しい時だけ入手する。このやり方もプラットフォーマーたちの屋台を通じて広がっている。この屋台には、人々の技能やノウハウも陳列される。何やら、人身売買臭い雰囲気もある。何とも不気味な世の中になって来た。

(浜矩子、同志社大大学院教授)