「はいたいコラム」 価値は時代で変わる


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 島んちゅのみなさん、はいたい~! みなさん、トマトはお好きですか。この間、「トマトが野菜になった日」(草思社)という本を読みました。南米ペルー・アンデス原産のトマトが大航海を経てヨーロッパに渡り、日本へやって来たのは江戸時代。明治に入るまでは観賞用だったそうです。やがてその味や調理法、栽培技術が広まり、いまやトマトは日本一愛される野菜(産出額1位)となりました。

 観賞用から食べ物へ。トマトの価値は時代の認識によって変わったのです。

 先日、棚田学会の20周年記念シンポジウムが東京大学でありました。テーマは「棚田の文化的価値」。食料生産の場であった棚田を、名勝という文化財や棚田百選に指定して棚田景観を守っていこうという動きが始まって20年以上になりますが、景観が評価され、観光客が増えても、農家には何の得もありません。とは言うものの、やはり多くの人が見に来てくれるのは嬉(うれ)しいですし、なるべくきれいにしておこうというシビックプライド(地元への誇り)も働きますよね。

 先祖代々耕してきた棚田を守る理由は、収入だけでしょうか。もちろん収入が確保されないと続けることはできませんが、そこで生きてきた誇り、未来へ遺(のこ)していく気概のようなものが、棚田には込められているはずです。米が売れないからと言って耕作をやめては、山が荒れ、別の損失を被ることになります。

 ヨーロッパの国々が、条件不利地の農業に補助金を出す理由は二つあります。食料安全保障と、国土保全です。スイスの国境付近の山岳地帯で酪農を営む農家がいることで、国境が守られ、牛の放牧景観と、おいしいチーズが作られ、そこにまた人が集まるという循環を生み出します。生産的な税金の使い方です。

 一方、この国では農山村のあちこちで山を覆い尽くすソーラーパネルを見かけることが増えました。再生可能エネルギー自体は意義あるものですが、一度人手に渡った土地の未来は、一体誰が守るのでしょう。幸か不幸か、資本に国境はないのです。

 トマトの価値が時を経て変わったように、山間部や離島に人が住み1次産業を営むことは、食料だけでなく、景観や文化、ひいては国の安全になるという視点で、その資産価値を考え直す必要があるのではないでしょうか。

(フリーアナウンサー・農業ジャーナリスト)

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小谷あゆみ(こたに・あゆみ) 農業ジャーナリスト、フリーアナウンサー。兵庫県生まれ・高知県育ち。NHK介護百人一首司会。介護・福祉、食・農業をテーマに講演などで活躍。野菜を作るベジアナとして農の多様性を提唱、全国の農村を回る。

(第1、3日曜掲載)