19日公開された「拝謁記」で、昭和天皇が反米軍基地運動が起きていた1953年に、国全体のためにいいと分かれば一部の犠牲はやむを得ないなどと述べていたことが明らかとなった。この考え方は、日本の主権回復後も沖縄の米国統治を求めた「天皇メッセージ」にも通底する。
先の大戦を振り返っても、多くの若者が命令一つで召集され、敵に特攻した。全体のためには一部の犠牲は仕方ないとするような考え方は、多くの人々を犠牲にした無謀な国策をほうふつとさせる。
実際の政策判断に影響したかは別にしても、現在も沖縄に米軍基地が集中する現実や、地方にリスクを負担させる原子力政策を含め、この国のひずみを映し出すような思考法だ。
例え安全保障上の必要から基地を造るにしても、地域から合意を得ることが、戦後民主主義国家として再出発した日本の本来のあるべき姿だ。
当時の吉田茂首相が反対し、昭和天皇のあいさつから大戦への「反省」が削除された事実と併せ、図らずも、この国が当時、大戦の過ちから抜け出せていないことを浮き彫りにした。
(知念征尚)