琉球から組踊3作品が首里語で伝承 薩摩支配下の沖永良部で上演されていた背景とは


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60年ぶりに復活した畦布の組踊「高平良(万才)」の劇中、棒万才を踊る清水誠さん(左)と森英仁さん

 鹿児島県大島郡和泊町畦布には組踊「高平良(万歳敵討)」のほか、「ヤグルヒャー(矢蔵の比屋)」「ミカルシ(銘苅子)」の計3作品が伝承されている。「高平良」の復活上演を2017年度からサポートしてきた県立芸大付属研究所専任講師の鈴木耕太さんは「複数伝承され上演されていることだけでも貴重だが、薩摩侵攻以後、琉球の統治から離れ、薩摩の支配下に置かれた地域で伝承されていることが希少性を際立たせている」と話す。

 鈴木さんによると3作品が伝承されていて、首里語を基本とした琉球古典語で書かれ内容や詞章は沖縄と大差ないという。近世の沖永良部と琉球の文化交流としては、1838年の尚育王冊封(戌の御冠船)で、沖永良部から祝いの使者が派遣されている。

 「高平良」の伝承時期は不明だが、明治には玉城盛重などが劇団の巡業公演で訪れた沖永良部で組踊を演じた。鈴木さんは「沖永良部では、戦後も沖縄出身者による劇団が生まれ、現在も多くの集落で琉球芸能が伝承されている。明治の沖永良部の人々は、組踊を鑑賞するだけの鑑賞眼が養われていた」と指摘する。その上で「組踊は台本が伝承されたからといって、すぐに上演できる芸能ではない。さらに沖永良部にとっては言葉の異なる首里語の演劇だ。畦布の組踊は、沖永良部における近世からの琉球文化の需要の高まりとともに伝承され、今日に至っていると考えられる」と力を込めた。