45年前に那覇市小禄の聖マタイ幼稚園そばで発生した不発弾爆発事故を後世に語り継ごうと、事故現場にある小禄病院がこのほど石碑を建立した。事故後も現場周辺では不発弾処理が相次いでおり、戦争の爪痕の深さを改めて浮き彫りにしている。小禄病院を運営する医療法人禄寿会の高江洲良一理事長は「4人が亡くなったことを忘れてはいけない」と記憶を継承する必要性を説いた。
事故があったのは1974年3月2日。聖マタイ幼稚園そばの下水道工事現場で重機が基礎工事用の鉄くいを打つ中、日本軍が使用した機雷に触れて爆発した。爆発時はひな祭り会の最中だった。3歳の女児や作業員ら4人が死亡、34人が重軽傷を負った。事故をきっかけに県の公共事業で磁気探査が導入されるなど、県民に衝撃を与えた。
その後、幼稚園は豊見城市に移転し、事故現場には小禄病院が建てられた。これまで現場には事故を記録する碑などは設置されていなかったが、同病院はことし10月に創立30周年を迎えることから、地域の歴史を記憶に残そうと石碑の建立を決めた。
石碑が設置されたのは県道7号に面した駐車場の一角。石版には亡くなった人たちを惜しむ意味を込めて、3月の陰暦の異称「春惜月」の文字を刻んだ。21日には石碑の除幕式が開かれる予定で、病院や聖マタイ幼稚園、小禄地区自治会、県磁気探査協の関係者らが出席する。
人々の命を守る病院が建つ事故現場。小禄病院もこれまでに3回、周辺での不発弾処理で患者や医師が全員避難した過去があり、沖縄戦の負の遺産に翻弄(ほんろう)されてきた。
高江洲理事長は「私も小禄病院に来て事故の事を知った。多くの人に知ってほしい」と語り、人々の記憶に刻まれることに期待を込めた。