昨年10月に始まったパレスチナ自治区ガザでのイスラエルとハマスの戦闘は終わりが見えず、子どもを含む万単位の死者が出ている。パレスチナを長年取材しているジャーナリスト・映画監督の土井敏邦さんに、ガザの現状や沖縄の歴史と通ずる点などについて寄稿してもらった。
ガザが壊滅状態にある。現時点(6月中旬)で死者は4万人を超え(収容できない数千人の遺体が瓦礫(がれき)の中に放置されている)、人口約220万人の75%が住居を破壊されテントや学校など避難所暮らしを強いられている。
“人間の内面”破壊
イスラエルによる封鎖によって、食料、水、薬など生活必需品がガザに搬入されず、現地の友人は、「一日一食がやっと。毎日缶詰の食生活」と伝えてきた。子どもたちも汚い水を飲まざるをえない。トイレも下水もないテント村では、汚水がテントの中まで入ってくる。6月になり気温が30度前後まで上がり、ビニールのテントの中は蒸し風呂のように熱くなる。蚊や蠅(はえ)が大量に発生し、毒蛇、サソリにも襲われる。この劣悪な環境の中、感染症が広がり、とりわけ今、肝炎の蔓延(まんえん)が住民を苦しめている。
さらに重大な問題は、避難民たちの精神状態だ。連日の空爆、砲撃に怯(おび)え、「いつ殺されるかもしれない」という不安と恐怖に襲われる。多くの住民はうつ状態にある。とりわけ子どもの精神状態に与える影響は深刻だ。夜中に突然、金切り声を上げ、泣き叫ぶ。「子どもたち全てが精神的な治療を必要としている」と友人は言う。「この戦争は“人間の内面”を破壊しています」
ホロコースト
イスラエル軍のガザ攻撃の“引き金”を引いたのは昨年10月7日のハマスによる越境攻撃だった。音楽祭での乱射、家の中の老人や子どもも見境なく射殺、住民が避難した防空壕への手榴弾の投擲(とうてき)。そしてレイプ…。「パレスチナ支援者」の中には「占領への抵抗暴力」と擁護する人もいるが、これは紛(まが)いもなく“テロ”である。
このテロは、イスラエル国民に“ホロコースト”を想起させた。イスラエル史上、1日で1200人もの国民が殺害された例はない。イスラエル人はこの攻撃を「第二のホロコースト」とみなした。ユダヤ人にとってホロコーストは“民族のトラウマ”であり、それから自衛するためにはどんな暴力・攻撃も許されるという心理が働く。ガザ住民にこれだけの被害をもたらす自国の軍隊の攻撃に、イスラエル内に「人道上、許されない! 止めろ!」というデモがほとんど起こらない背景がここにある。彼らにとって「ハマスは『ナチス』、そのハマスを選挙で選び支持した民衆もハマスと一体、だからその住民が犠牲になっても“仕方のないこと”だ」という論理につながっていく。
二つの苦しみ
しかし「ガザのパレスチナ人」は一体ではない。今、ガザの民衆の多くが、この攻撃を引き起こしたハマスに怒っている。「我(われ)われをこれほど苦しめることになったあんな攻撃をなぜやったんだ!」と。「パレスチナ」対「イスラエル」という単純な二項対立では現在のガザ情勢は語れない。しかしこんな「ハマス批判」に対して、「パレスチナ支援者」の一部から「反パレスチナ」という声があがる。「占領という問題の根源を見えなくする」というのだ。しかし民衆が苦しんでいるのは“占領”だけではない。民衆はハマスの強権支配と暴走にも苦しんでいるのだ。「パレスチナ」を語るとき、重要なことは、どの立ち位置からこの問題を観ていくかだ。私の視点ははっきりしている。地べたで生きる“ガザの民衆”からの視点だ。今ガザの民衆は「問題の根源である占領」という大状況、「パレスチナ内部の矛盾」という別の状況という全く次元の異なる問題の双方によって苦しんでいる。
銃剣とブルドーザー
沖縄では1945年の日米の戦闘によって約9万4千人の民間人が殺害、または飢餓などで死に追いやられたといわれる。さらに多くの住民が住処(すみか)を失い、飢餓に苦しんだ。今のガザの住民たちと似たような苦しみを直接、実体験した日本人は、おそらく沖縄の人たちだろう。あの沖縄戦を身をもって知る世代には、ガザの住民にかつての自分の姿を重ね合わせてしまう人は少なくないはずだ。
ガザだけではない。“オキナワ”はパレスチナと類似する歴史を持っている。伊江島の阿波根昌鴻氏の写真集『人間の住んでいる島』を目にしたとき、「これは日本の中の“パレスチナ”だ!」だと思った。「銃剣とブルドーザー」で農民の土地が有無を言わせず奪われていく様、それに命がけで抵抗する農民の姿は、まさにパレスチナ・ヨルダン川西岸地区でイスラエル軍やユダヤ人入植者に土地を奪われている農民そのものだからだ。
「遠い国」にしない
遠い国に住む私たちは、「死者4万人」「避難者は百数十万人」という数字にガザの現状をわかったつもりになる。しかしその数字では私たちはその一人ひとりが被(こうむ)っている“苦しさ”“痛み”に思いは至らない。また「パレスチナ人」「ガザ住民」と“マス(集団)”で描くだけでは、個々人の苦悩は想像できない。だからこそ私たち“伝え手”は、現地の人びとを“等身大”“固有名詞”で詳細に描き、読者や視聴者に「あれが私の親、子ども、孫だったら」と想像させる伝え方が求められている。そのようにして、「遠いガザの人びと」が私たちと“同じ人間”であることを想像させる“素材”を読者や視聴者に差し出していく――それが私たちメディアに今求められているのだと思う。
30数年間、パレスチナとりわけガザに関わってきたジャーナリストとして何をすべきか――私は10月以来、苦悶(くもん)してきた。行き着いた結論は、“ガザを伝えること”だった。映画『ガザからの報告』の制作と同名の岩波ブックレットの出版はその第一段階だ。ガザでは万単位の人間が死傷し、飢餓に直面している。“同じ人間”として何ができるのか、私たちは今問われている。
土井 敏邦(どい・としくに) 1953年、佐賀県生まれ。ジャーナリスト・映画監督。85年より34年間、パレスチナを取材。ドキュメンタリー映画に「沈黙を破る」「ガザに生きる」(5部作)「ガザ攻撃2014年夏」など。著書に「占領と民衆―パレスチナ」「沈黙を破る」「ガザの悲劇は終わっていない」など。