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家族4人で北部へ避難 浦添八重子さんの体験(2)母の戦争<読者と刻む沖縄戦>


家族4人で北部へ避難 浦添八重子さんの体験(2)母の戦争<読者と刻む沖縄戦> 那覇市首里の「金城町の石畳」
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 小島幸夫さん(58)=大阪市=の母、浦添八重子さんが暮らした那覇市首里は1944年夏以降、日本軍の駐屯が進みます。八重子さんの父、朝輔さんは召集され、家は日本軍に接収されます。

 《幸せな家族を戦争が引き裂きました。祖父と父親は海軍の軍人で、祖父は戦争が始まる前に亡くなり、父親は戦地へと向かいました。家は兵舎として使うので追い出され、祖母、母、妹、私の母の4人で北部の方に逃げたそうです。》

 祖父は日露戦争に出征したといいます。「祖父は片足がなかったと母は話していました」と小島さんは語ります。

 家族が首里を離れて北部に避難した時期は分かっていませんが、米軍の空襲や艦砲射撃が始まる45年3月末ごろのようです。避難の最中、八重子さんは悲惨な戦場を目にしました。

 《逃げる途中、死体を踏んだりまたいだり、子どもを背負った母親が死んでいて赤ちゃんだけが泣いていたとか、幼いながら記憶が鮮明に残っていたそうです。そういう話をする時は必ず涙ぐんで、あまり話したくない様子でした。》

 涙ぐむ八重子さんを見て、小島さんはこれ以上戦争の話を聞くことをためらいました。

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