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母生き残り、私が存在 浦添八重子さんの体験(4) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>


母生き残り、私が存在 浦添八重子さんの体験(4) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦> 現在の名護市田井等の集落
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 小島幸夫さん(58)=大阪市=の母、浦添八重子さんは羽地村(現名護市)の田井等収容地区で母と祖母、妹を亡くしたと見られます。小島さんのお便りは次のように記します。

 《母だけが生き残って、今私が存在するわけですが、わずか6歳の子どもが一人でどうやって田井等収容所から首里に戻ってこれたのか。田井等収容所という確証はありませんが、田井等収容所だったという民家も見に行きました。》

 八重子さんの他界後、母がどうやって戦火の中を生き抜いたのかを無性に知りたくなった小島さんは沖縄に足を運び、母の足取りを調べました。

 1945年7月、石川で創刊した「ウルマ新報」(現在の琉球新報)は10月3日付から4カ月にわたって9カ所の孤児院にいる子どもの名簿を掲載しています。11月7日付には田井等孤児院にいる69人の名前を載せました。「姓名不詳」の子も6人いました。

 小島さんは大阪府内の大学図書館で名簿を確認しましたが、「浦添八重子」の名を見つけることはできませんでした。

 《当時のことを知る親族も分からず、分かっている人はこの世にいないかもしれません。》

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