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「窓ぎわのトットちゃん」<伊是名夏子100センチの視界から>166


「窓ぎわのトットちゃん」<伊是名夏子100センチの視界から>166
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 映画「窓ぎわのトットちゃん」を子どもと一緒に見に行きました。私は大学の卒業論文で、トットちゃんが通ったトモエ学園について研究していました。いろいろな子どもが信頼する大人に見守られながら、安心感の中で、さまざまなことにチャンレジをしていく教育に共感したからです。私の小さい頃を振り返っても、たくさんの人が関わり認めてくれたおかげで、障害があることを卑下することなく、いろいろなことにチャレンジできたと感じています。

 また今回上映を楽しみにしていたのは、トットちゃんの本を娘に読み聞かせしながら、娘があまりにもトットちゃんに似ているねと、2人で話していたからです。娘も自由奔放で、忘れ物も多いですが、好きなことにすぐ体が動いてしまいます。

 映画は予想した通り、好奇心旺盛で素直なトットちゃんと、友だちや大人との関わりに、涙するシーンがたくさんありました。しかし意外にも一番心に残ったのは、戦争に向かう時代の描かれ方でした。毎日楽しみながら聞いていたラジオから突然、戦争のニュースが流れ、外国語を使うことが禁止される。おしゃれな身なりを慎むことを強要され、いつのまにか町からは男性が少なくなる。そして食べる物がなくなっていく。戦争は急に始まるのではなく、少しずつ日常に影響を与え、身近になっていったのです。

 今の私たちの生活はどうでしょうか? ミサイルなどの購入、維持、開発に多額の予算がかけられ、実際にミサイルが配備されています。防衛費は増え続け、これからの5年はこれまでの1・5倍にもなります。あくまで防衛のためと政府は言いますが、壮大な範囲にわたる避難計画も作成され、避難訓練も行われています。地震などの災害時になされないことが、防衛という目的で進んでいくのは、戦争の準備に他ならないのではないでしょうか。

 辺野古新基地建設も、多くの民意を踏みにじり工事が強行されています。基地は安全のためにあるのではなく、戦争をするためにあると私は思います。今はまだ食べ物が減ったり、身なりを慎んだりすることは強要されていませんが、少しずつ戦争の準備が整えられて、まさしくトットちゃんの時代と酷似していると、恐怖を感じました。戦争は急に始まるのではなく、少しずつなのです。今の私たちの毎日にもつながる映画「窓ぎわのトットちゃん」、おすすめです。 


 いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。