元プロバスケットボール選手でBリーグ滋賀レイクスの育成ディレクターを務める根間洋一(44)は男子バスケ部の20期生だ。1979年生まれ。将来を期待され、全国の強豪としのぎを削った。
那覇市生まれ、豊見城市育ち。バスケを始めたのは長嶺小5年の時。岐路は長嶺中に入学後だ。監督の島袋篤に「強くなるか、楽しむか」と問われ、強くなる道を選んだ。毎日、練習内容が書かれたメモをもらい、真剣に取り組んだ。「知らない間に強くなった」。3年には全国中学体育大会に出場し優勝。根間はMVPに輝いた。雑誌「月刊バスケットボール」の表紙も飾り、“怪物くん”と紹介された。
高校進学時は強豪からスカウトが相次いだ。「1年からスタメンにする」という誘い文句もあったが、北谷を選んだ。「高校ではこのままではいかん」。監督の安里幸男の将来を見据えた言葉を信じた。
安里は根間をセンターだけでなく、いろんなポジションができるように鍛え、守備も磨いた。1年から国体少年代表に選ばれた。2年になると全日本ジュニア代表に選出され、将来を嘱望される。
3年最後の大会ウインターカップの準々決勝。今もプロで活躍する田臥勇太擁する能代工業と対戦した。徹底的に対策したが、前半は64―40と24点差を付けられた。「すまん」。安里が謝った。相手に合わせすぎていた。後半の指示は自分たちの力を出し切ること。「チームが一つになった」と根間は振り返る。最後の笛が鳴るまで誰も諦めず、128―105という大激戦を演じた。終了間際に退場となった根間にも、チームにも会場からは惜しみない拍手が送られた。
高校卒業後は法政大に進み、その後はJBL福岡レッドファルコンズ、bjリーグ富山グラウジーズなどで活躍。引退後はアシスタントコーチなどを務める。この間も沖縄に帰ってきて児童、生徒にバスケを教えた。8月には母校北谷高で、現役高校生を激励するために開かれた壮行試合に参加。OBの1人として共に汗を流した。
北谷町長の渡久地政志(44)は20期生だ。同級生の根間と共にバスケ部に所属。培った経験やつながりは政治家としての土台となる。
79年生まれ、北谷町宮城出身。地元の浜川小、桑江中に通い、バスケを始めたのは中2の頃。高校でもバスケ部に入ったのは1年の終わり頃だった。強豪男子バスケ部は県内はもとより、県外からも精鋭が集まっていた当時、地元出身者は渡久地くらいだった。
身長185センチの恵まれた体格。ただ、バスケ歴は浅く、強い思いもなく、地元という理由で進学した渡久地。「ギャップしかなかった」。何度もやめようと思った。
そんな思いを知ってか知らずか、地元出身で奮闘する渡久地に町民から激励の声が相次いだ。小中学校のバスケ部指導者や役場職員らから「続けた方がいい」「頑張って」と声をかけられた。「知らない人に『頑張って』と言われるのは何かあるんだろう」。戸惑いながらも体育館に向かい続けた。
実家から学校は遠くなかったが、寮生活を始めた。そこで仲良くなったのが根間だった。朝起きると、どちらかが起こし、一緒に朝練に向かった。同じポジションで競い合う良きライバルで、良き友となった。今も根間が帰郷すれば、一緒に飲みに行く。互いに「馬が合う」と語る。
地元からの激励に応えるように渡久地もベンチ入り。貴重な経験をした。その頃から「地元のために何かしたい」と思うようになった。
沖縄大卒業後は臨時職員として町役場に務めた。「やりたいことは政治だ」。2005年の町議補選で初当選し、5期15年務めた。その後、21年11月の町長選に出馬し初当選。バスケW杯があった今年、町内にはファンゾーンが設置され、役場では特別企画展が開かれた。町長として機運醸成に一役買った。かつて支えられた地域の人々のため「北谷のために働きたい」と常に頭を巡らせている。
(敬称略)
(仲村良太)
【沿革】
1976年4月 開校
79年3月 第1回卒業式
92年6月 県高校総体男子バスケットボール優勝(3連覇)
2000年2月 全九州高校バスケットボール春季選手権大会男子優勝
05年12月 全国高校対抗ボウリング大会優勝(2連覇)伊保さやか、宮城鈴菜
07年2月 新校舎へ移転