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大河ドラマにも出演、バスケ部で「人間性が鍛えられた」嘉島陸さん 「劇団松島」で愛された元プロ選手・松島良豪さん 小禄高校(12)<セピア色の春>


大河ドラマにも出演、バスケ部で「人間性が鍛えられた」嘉島陸さん 「劇団松島」で愛された元プロ選手・松島良豪さん 小禄高校(12)<セピア色の春>   嘉島 陸さん
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 松島 良豪さん

 バスケットボール強豪校として一時代を築いた小禄高校。卒業生はバスケ指導者や政治家、俳優などさまざまな分野で活躍する。元プロバスケ選手で現在、国士舘大学で監督を務める松島良豪(32)は45期。父は沖縄バスケ界で名指導者として知られた故・良和。3歳からバスケに触れ、コザ中で本格的に良和から指導を受けた。将来に向け、ガードの能力を磨く必要を感じていた時、同ポジションの育成に定評ある糸満高の嘉陽宗紀監督が小禄高に移ると聞き、進学を決めた。

 

 朝6時に沖縄市の自宅を出て、7時前に学校に到着。体育館が開いていると、同級生とシュート練習をし、始業までの時間を過ごした。バスケ部では1年時からスタメンに選ばれ、セカンドガードとして活躍する。那覇南部地区高校バスケットボール新人大会では、決勝で強豪・興南高を下し、優勝した。

 チームの中心選手となった2年時。良和の指導もあり、若くして自分ならではの理論と確固とした考えを持っていた松島は、しばしば嘉陽と衝突した。それでも勝利への渇望の下、自身の考えをアップデートし、嘉陽の理論を吸収。エースガードとして全沖縄高校選手権を勝ち抜き、小禄高初の全国高校選抜優勝大会への出場を決める。最上級生で副キャプテンになり、自覚と責任が生まれた。嘉陽の多彩な戦術を実践し、得点できるように、とにかく走り、体力をつけた。高校最終年は全国高校総体、全国高校選抜優勝大会に出場。有終の美を飾った。

全国高校総体の府立大塚との試合でシュートをはなつ松島良豪=2009年7月29日、大阪市立住吉スポーツセンター

 大河ドラマへの出演を果たすなど存在感のある演技で注目を集める若手実力派俳優の嘉島陸(25)は52期。琉球ゴールデンキングスに憧れ、中学からバスケを始め、高校時代はキャプテンとしてチームを引っ張った。「人間性が鍛えられた3年間だった」と振り返る。

嘉島 陸さん

 1998年、那覇市に生まれた。物心ついた時から電車が好きで、開業直後のゆいレールに乗るのが何よりも好きだった。小学校に入る前に父親の転勤で千葉に引っ越した。街中で時々、スカウトされることがあり、両親がシューズメーカーのモデルオーディションに応募したら、グランプリをとった。2005年に子役としてデビュー。話題作への出演で注目を集めるも、中学1年時に父親の転勤で地元に戻ることになり、芸能界を引退、松島中に転校した。

 久々の沖縄だったが、同級生や先生に恵まれ、すぐに溶け込んだ。「ウエルカムに迎えられた。ありがたくうれしかった」

 楽しそうな雰囲気に誘われる形でバスケ部に入部する。その直後、沖縄市で行われたキングスの試合を見に行った。「会場の盛り上がりや選手のプレーに衝撃を受けた」。その日を境にバスケにのめり込んだ。

 高校でもバスケをやるため、強豪校の小禄を選び、毎日部活に明け暮れた。嘉島も松島と同様に嘉陽と、北谷高校で活躍した源古隆の2人から指導を受けた。競技だけではなく、集団生活の大切さなどをたたき込まれ、「生徒が社会に出たときのことを考え指導してくれた。2人から多くのことを学んだ」と感謝の言葉を口にする。

 バスケ指導者を目指し、沖縄国際大に進学したが、17年のテレビドラマ「コード・ブルー~ドクターヘリ緊急救命~」を見て「演技を通じて人の心を動かしたい」と、再び俳優の道を決意。高校時代に声を掛けられた芸能事務所に連絡をとり、18年に約7年ぶりに活動を再開した。「人に感動を与えられる役者になる」。自身を鍛え育ててくれた小禄高、そして地元沖縄への思いを胸に俳優としての飛躍を誓う。

(文中敬称略)
(藤村謙吾、吉田健一)

 【沿革】

 1963年4月 開校

 68年4月 通信制課程開設式(77年に泊高に移転)

 70年7月 全国高校野球選手権沖縄大会で初優勝

 71年7月 弓道女子チーム九州総体優勝

 83年11月 九州地区吹奏楽連盟主催マーチングバンドコンテスト金賞

 87年11月 全国高校サッカー選手権沖縄大会優勝

 88年8月 全国高校総体ハンドボール男子で県勢初の全国制覇

 90年8月 全国高校総体空手道個人型優勝

 98年4月 コース制導入

 2004年4月 コース制一部改変

(QRコードから校歌を聞くことができます)