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「ウルクが日本をリード」振興施策に深く関わる元副知事・上原良幸さん 沖縄の伝統空手を誇りに世界へ普及、八木明人さん 小禄高校(13)<セピア色の春>


「ウルクが日本をリード」振興施策に深く関わる元副知事・上原良幸さん 沖縄の伝統空手を誇りに世界へ普及、八木明人さん 小禄高校(13)<セピア色の春> 上原良幸さんが通っていた時期の小禄高校(創立60周年記念誌より)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 「ウルクやニッポンがや」(小禄は日本か)。かつて首里や那覇と比べて「遅れている」とやゆされた小禄地域。今では利便性の高い市内有数の地域に変貌を遂げているが、その契機となったのが小禄高校の設置にあったと語るのは、沖縄県の振興施策に深く関わり、副知事や沖縄観光コンベンションビューロー会長などを歴任した上原良幸(74)、3期生だ。沖縄のあるべき姿を描いた21世紀ビジョン策定や沖縄科学技術大学院大学設置など、携わった事業は数多い。

上原 良幸さん

 1950年、那覇市宮城に生まれた。米統治下時代、小禄地域はまだ米軍基地と隣り合わせの生活だった。基地内の暮らしぶりなどに米国の豊かさを見たが、60年代後半、ベトナム帰りの米兵がサイケデリック・ロックを流しながらLSDを吸う姿に「憧れの米国が壊れていくように感じた」。

 中高時代は家計を助けるため米兵家庭の草刈りなどアルバイトに明け暮れた。中学2年の時、母親が39歳で死去した。病に伏した母を見舞う伯母の言葉を忘れない。「同級生はほとんど戦争で亡くなった。子どもを残せたあなたは幸せものよ」。その言葉は反戦を掲げる上原の奥底にあり続ける。

 建築士を視野に沖縄工業高への進学を考えたが、中学3年の担任だった奥平健の勧めで大学進学を目指すべく小禄高に進学した。

 前年に沖縄が日本復帰を果たした1973年、琉球大を経て、県庁に「1期生」として入庁した。土木部を皮切りに企画畑を中心に歩み、日本初の台湾事務所の開設や国際貨物物流事業などにも携わった。

 副知事、そして2016年にOCVB会長を退いた後は、今年3月末に退任するまでムーンホテルズアンドリゾーツの役員を務めてきた。この8年間、国場ビルに設置された役員室には県庁時代と変わらず、政財界関係者の訪問が引きも切らなかった。昨年は春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。「ウルクが日本をリードする」。一線を退いた今も沖縄の現状を憂い、「ちゃーすが沖縄」を掲げ、志を共にする仲間と未来の沖縄を論じる。

八木 明人さん

 沖縄空手・古武道連盟理事長で国際明武舘剛柔流空手道連盟総本部会長の八木明人(47)は32期。剛柔流の流祖・宮城長順から教えを受けて国際明武舘を開き、沖縄伝統空手の普及と継承に尽くした八木明徳が祖父、2代目の明達が父という空手一家だ。

 3歳で空手を始めた。誕生日プレゼントが道着で「半ば強制的に習わされた」と笑うが、祖父の指導は優しかった。那覇市久米の自宅建物にある道場で、他の子どもたちと遊びながら基本を習得した。空手は生活の一部だった。

 中学生になると、父から指導を受けた。道場には、祖父や父に教えを乞いに訪れる外国人や米兵の姿も多く、米国の滞在経験がある父が、英語で沖縄空手を伝えた。

 上山中の同級生も多く進学した小禄高に進み、空手部に入部した。沖縄空手と、部活の競技空手とは全く違う。「勝つため」の競技空手に初めは戸惑い、ステップやフットワークもこなせなかったが、少しずつ慣れた。

 約20人の空手部で、2年時にキャプテンを託され、「強くなりたい」という思いが芽生えた。部活と道場の稽古と空手漬けの日々。「学校は部活をしに通っていた」と振り返る。3年時に県内大会で入賞するようになり、達成感を覚えた。卒業後はアルバイト生活を送っていたが、21歳で父の空手セミナーに同行しカナダへ。父が先に帰国し、言葉も分からないまま剛柔流の現地支部に残ったが、耐えられず約1カ月で帰国したこともある。

 30歳で道場を継いで3代目舘長となった。インターネットの普及で外国での沖縄空手の人気は高まり、英語の重要性を認識。再びカナダに渡り、1年間、支部を回って指導しながら英語を身に付けた。現在、国際明武舘は約30カ国に100を超える支部を展開する。八木自身も祖父や父の思いを継いで米国や欧州、アジア、南米でセミナーを開き沖縄空手を普及している。根底にあるのは沖縄空手への誇りだ。「伝統の空手を崩さず、世界に伝えることで沖縄に恩返ししたい」

(文中敬称略)
(吉田健一、岩切美穂)

(小禄高校編は今回でおわり)

 【沿革】

 1963年4月 開校

 68年4月 通信制課程開設式(77年に泊高に移転)

 70年7月 全国高校野球選手権沖縄大会で初優勝

 71年7月 弓道女子チーム九州総体優勝

 83年11月 九州地区吹奏楽連盟主催マーチングバンドコンテスト金賞

 87年11月 全国高校サッカー選手権沖縄大会優勝

 88年8月 全国高校総体ハンドボール男子で県勢初の全国制覇

 90年8月 全国高校総体空手道個人型優勝

 98年4月 コース制導入

 2004年4月 コース制一部改変

(QRコードから校歌を聞くことができます)