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「暴力を許さないという精神引き継ぐ」 11・10ゼネストで殉職の警官、那覇署が追悼式


「暴力を許さないという精神引き継ぐ」 11・10ゼネストで殉職の警官、那覇署が追悼式 追悼式で黙とうする山内敏雄那覇署長(右端)と同署員ら=10日、那覇市首里
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 1971年11月10日。翌年に控えた沖縄の日本復帰を巡り、米軍基地の存続を認めた沖縄返還協定に反対する全島ストライキ(11・10ゼネスト)でデモ行進の警備中に、過激派の暴動で警察官が命を落とす事件があった。戦前を含めて治安警備中の警察官が殉職した県内で唯一の事案だ。亡くなった琉球警察の山川松三巡査部長=当時48歳、殉職後に警部に2階級特進=の52回目の命日となる10日、那覇署は山川さんの位牌(いはい)が納められている那覇市首里の首里観音堂で追悼式を開いた。事件を知らない警察官も増える中、署員らは二度と同じことが繰り返されないようにと遺影に誓った。

山川松三巡査部長(当時)の遺影

 事件は午後6時前、浦添市勢理客の1号線(現在の国道58号)で起きた。与儀公園で開かれた県民大会後のデモ行進に紛れた県外からの過激派集団らが、警備中の琉球警察の機動隊に火炎瓶を投げ、山川さんが集団に殴られ死亡した。

 警察は延べ8千人の捜査員を投入し、30人超を逮捕。殺人容疑で逮捕された県外男性が無罪となる事例もあった。

 衝撃的な事件にもかかわらず、近年は焦点が当たることはあまりなかった。山川さんの死を悼み、事件の風化を避けようと、復帰50年を迎えた昨年から県警内部で追悼式の開催が検討されてきたという。

事件発生翌日の琉球新報

 10日の追悼式には、山内敏雄署長ら10人の那覇署員が参列し、山川さんの遺影に手を合わせた。山内署長は弔辞で「勇気ある行動と、犯罪は絶対に許さないという(山川さんの)警察官としての崇高な精神を引き継いでいく」と、追悼の言葉を述べた。同署の當間菜美巡査長(33)は「暴力は絶対に許さないと強い気持ちを持って職務に当たらないといけないと強く感じた。後輩にも伝えていきたい」と語った。

 遺族の30代男性は「時がたち、当時の話を語り継ぐのは難しくなっていると感じる。突然、家族を奪われた悲しみは癒えず、遺族は今も複雑な心境を抱えている。追悼式などを通して二度とこのような凄惨(せいさん)な事件が起きぬよう、後世に伝えて再発防止につなげてほしい」と話した。

(高辻浩之、大嶺雅俊)