17年間、亡き娘の歳だけ「米」寄付、その理由は 「これで一区切り」沖縄・南風原町の大城さん家族


17年間、亡き娘の歳だけ「米」寄付、その理由は 「これで一区切り」沖縄・南風原町の大城さん家族 南風原町社協に米を寄贈する母親の大城逸子さん(左から3人目)と家族たち。米を受け取る、南風原町社会福祉協議会の大城正治会長(右端)=1日、南風原町
この記事を書いた人 Avatar photo 岩崎 みどり

 【南風原】南風原町喜屋武の大城逸子さん(65)は、四肢まひの重い障がいがあり2007年4月に17歳で亡くなった娘ちなみさんの12月1日の誕生日に合わせ、毎年、町社会福祉協議会にお米を寄贈してきた。「ちなみが生きた年と同じ17年間は続けよう」と決めていた。お米の重さは、ちなみさんが生きていたら重ねていた年齢。今年は34キロ。これで最後だ。1日、逸子さんは1キロずつ包装された米を前に「今回で一区切り。これからは新しい形で役立ちたい」と話した。

 最後の贈呈式に、逸子さんは家族とともに出席した。夫の定男さん(68)は初めて同席。次男の智也さん(37)は、パートナーのまりやさん(33)と娘2人を連れて参加した。

高校入学時、当時15歳の大城ちなみさん=2005年撮影

 生後4カ月で四肢まひになったちなみさん。生活全般に介助が必要だったが、逸子さんは「ちなみを通してたくさんのことを学んだ」と話す。障がい児の福祉や教育、医療費の問題。周囲の助けも借りながら、その一つ一つに向き合ってきた。

 逸子さんが「ちなみを地域で育てたい」と声を上げた時、町社協が支援した。逸子さんは事務所の一室を提供してもらい、障がいのある子とその親が集う場を始めた。その後も、ちなみさんが地元の小中学校に通う際に、社協はボランティアを派遣し通学を支えた。

 一緒に育った地域の子どもは、その後も大城家に集まる。成人式の時には、前日に集合し「ちなみと一緒に参加する」と写真を持っていった。逸子さんは「子どもたちはすごい力を持っている。子どもが笑っていられる環境のために、できることをしていきたい」と力強く語った。

(岩崎みどり)