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「大きなどす黒い煙が見えた」うるま川崎の米軍機墜落から62年 宜寿次信夫さん(77)が証言 


「大きなどす黒い煙が見えた」うるま川崎の米軍機墜落から62年 宜寿次信夫さん(77)が証言  川崎米軍機墜落事故が起きた当時の体験を語る宜寿次信夫さん=4日、うるま市の川崎公民館
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

【うるま】1961年12月7日、旧具志川村川崎に米軍機が墜落した。「雲のように大きなどす黒い煙が見えた」。当時川崎小中学校の中学3年だった宜寿次信夫さん(77)は驚きで体が動かなかった。

 機体は集落に墜落し2人の死者と6人の負傷者を出した。川崎米軍機墜落事故から7日で62年。世界で起きる戦争の映像、集落の上空を飛ぶ米軍機の音、繰り返される墜落事故―。「今もニュースや映画を見ると強烈に当時が思い起こされる。当時と重ならない方がおかしい」と宜寿次さんの記憶は幾度となく呼び起こされる。

 61年12月7日午後1時40分頃、米軍機は墜落した。学校は昼休みだった。宜寿次さんはグラウンドで遊んでいると、「飛行機が飛んでくる」と声が聞こえ振り向いた。米軍機は「学校に一直線で向かって来ていた」。逃げようと思ったが「怖さを通り過ぎてパニックだった」と体は動かなかった。

 当時、周辺は高い建物がなく学校から約450メートル離れた場所にある、がじゅまるの木がよく見えた。高さは12メートル程。そのすぐ上を米軍機がかすめた。機体はカーブを描きがじゅまるの近くの集落に墜落した。「どす黒い雲が高くまで上がり、雲の中から火が見えた。熱い空気が伝わってきた」と墜落の瞬間を語る。

 自宅は墜落現場から300メートルほどの距離にあった。怖くて現場には近づけなかったが「油や家が焼けた臭いが数日続いた。臭かった」と当時の感覚はこびりつく。ただ、その後の様子はほとんど覚えていない。「学校生活も思い出せないくらい」の衝撃だった。

 62年がたつ今も上空を米軍機が飛ぶ沖縄の現状。「音に敏感に反応してしまう。恐怖を感じる」。世界で起こる戦争の映像に事故の光景を重ね、苦しくなる。

 鹿児島県・屋久島沖に11月、米軍のオスプレイが墜落した。「墜落して人が死んでも飛び続ける。昔と同じだ」とどれだけ犠牲が出ても変わらない現実に憤る。

 現在、川崎小学校では児童らが体験者の証言を聞いたり、事故について学習した内容を平和集会で発表したりするなど「継承者」として語り継ぐ取り組みをしている。「米軍機は今も自分たちの上を飛んでいる。目をそらさずに関心を持ってほしい」と宜寿次さんは次の世代に思いを伝えた。

(金盛文香)