有料

南京での虐殺、未来の教訓へ 「南京・沖縄むすぶ会」が視察報告会 那覇


南京での虐殺、未来の教訓へ 「南京・沖縄むすぶ会」が視察報告会 那覇 散乱していた遺骨を集めて埋葬された集団埋葬地で説明するガイドの戴国偉さん=南京市の東郊合葬地
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 

 日本軍の中国・南京占領から13日で86年。日本軍は当時、短期間に南京の都市部や郊外で捕虜や一般住民の殺害、女性への性暴力を重ねた。南京大虐殺と呼ばれる。10月に南京を訪れた、東アジアや沖縄の歴史を考える「南京・沖縄をむすぶ会」(稲垣絹代会長)は10日、那覇市協働プラザで報告会を開いた。加害、被害の両面から戦争の実相を見つめた参加者らは、沖縄で軍備強化が進む現状に対し、歴史に学び戦争を二度と起こさないために沖縄から発信していくことを報告した。

  訪問団は14人。きっかけは、2019年に南京の通訳ガイドの戴国偉さん(68)が沖縄を訪れ、中国での戦争体験を研究する沖本裕司さん(76)らと交流を深めたことだった。

 報告会では、10月に現地を訪れた際に出会った被害者2世の曹玉莉さん(60)の話が挙げられた。日本軍が南京に迫る中、大勢の住民が揚子江の川岸に逃げ身を隠した。曹さんの母親、祖母と弟もその中にいた。土手を行き来する日本兵は生い茂る葦(あし)が揺れると銃を撃ち、銃剣で突いた。母親は左足にけがを負い、戦後も精神的に苦しんだという。「心に傷を負ったままの人生だった」。静かに語る曹さんの言葉に、新潟県出身で平和ガイドの松井裕子さん(72)=南風原町=が「銃を撃ち、銃剣で突いたのは自分の父だったかもしれない。許されることではないが謝りたい」と涙をこぼし打ち明けた。

 具志堅正己さん(72)=那覇市=の叔父は南京郊外で戦死。父親は中国で鉄道警備の任務にあたったが、死ぬまで体験を語らなかった。「再び『鬼の子(=日本兵の意)』にならないためにどうすればいいのか。中国脅威論に惑わされないため東アジアの人々と交流を重ね、考え続けたい」と前を向いた。

 沖縄戦を指揮した第32軍の牛島満司令官は、南京攻略戦に第6師団(熊本)の下、歩兵第36旅団長として加わった。長勇参謀長は捕虜の処刑を命じたという証言が残るほか、沖縄に慰安婦制度を持ち込んだ。南京から沖縄へ歴史の連なり、2人の中国での足跡を詳しく調査すべきだといった意見も上がった。

 南京・沖縄をむすぶ会は定例の勉強会を続けており、今後も活動を企画している。 (中村万里子)